日本語文法的な・・・何か

日ごろ、ふと

「これはどういうことなんだろう?」

「これって、何?」

などと、ふだん当たり前に使っている日本語や

学校で習った文語(古典)文法の中から

思いついたことがらを書き留めています。

 

サ変動詞「す」

サ変動詞「す」は

どんな名詞の足にもなって

多くの、外来の言葉を 動詞化してきた

 

古くは、漢語の名詞を動詞化して、すっかり日本語として歩かせたし

今では、英語を始めとする 数々のヨーロッパの言語を動詞化し

どこの国の言語でも、それが名詞でありさえすれば

そこに足をつけるのは お手のもの

 

サ行四段との見分けは 簡単

未だ然らずの形には 「せ」を使う(口語では「し」)

 

サ変動詞は どこから来たのか

どちらが先と言うものでもないだろうが

助動詞「す」の存在が 浮かび上がる

 

元々「使役」の意味を持つ助動詞「す」は

後に「尊敬」の役割をも 受け持つことになったが

 

助動詞「す」も、サ変動詞「す」も

ともに「す」という音の響きを、その奥深くに保ち続けている

 

素足、素肌の「す」

素直の「す」

すべての「す」

2015/08/22


已然形

 

かねてから、なんとなく感じていたことだが

日本語には、元々命令形なんてなかったのではないか

この頃とみにそう思う。

 

外国語にはとんと疎いので、他の言語と比べて詳しく検証するなどということは

私にはできないから

今回もただの思いつきだけを記してみる。

 

例えば英語であれば

主語をはずして、いきなり動詞で始めるのが命令形。

日本語の場合、はなから主語というものが明確には存在しないし

そもそも、体系が英語とは全く違うのに

むりやり英語の文法構造に日本語を当てはめようとして

日本語文法を体系づけようとしている感が強くする。

 

日本語でも、主語と言える言葉の使い方(主格)はあるが

それは、英語の主語とはまるで違うものだと思う。

そこには当然無理が生じるから、日本語独自の文法構造も考えられているわけだが

基本的な部分に西洋の文法を置いているため、なんだかギクシャクしてすっきりしない。

複雑に複雑になってしまっている。

学者や国語の教師でもなければ、普段使っているはずの日本語の文法が

なかなか理解できないし、覚えられない。

現代の中高生は、実にバカバカしい苦労を強いられている気がする。

 

 

前置きがながくなったが

命令形に関して言えば、日本語、特に文語文法では

已然形と命令形は同じ形であることがほとんどだ。

 

口語(現代語)文法には已然形はなく、仮定形に取って代わられているが

元々の仮定形は、未然形であった。

「もし~であれば」→「~ならば」

では、已然形とはどんな場合に使われるかというと

まず一つ目に、「すでに~であるので」の意味として使用される。

「~なれば」が、分かりやすい例である。

もう一つは、係り結びの「こそ~けれ(なれ、たれ、すれ等々)」

つまり強意として使われる。要するに強く言いたい時に使うわけだ。

 

例として挙げると

「この歌をこそ聞け」

というのは、「聞きなさい」と命令しているのでは決してないということ。

「この歌を聞く」という、主語などない動作(状態)を強く強く現しているのだ。

 

これが、「こそ」という係助詞がなくなっても、已然形で終わるときに強く響く印象が根付いた理由ではないだろうか。

そうして、已然形は相手にその動作(あるいは状態)を強いる意味合いが濃くなり

命令の形として常時使われるようになって

明治以降の文法では「命令形」などという活用形として定着したのではないだろうか。

 

社会の変化は、そこに住む人々の意識の変化と当然ながら同調している。

「命令」というものが、あたかも始めからあったかのように私たち現代人は思っているが

そんなもの、日本語の精神にはないのではないかという気がしてならない。

 

言葉も、分化に分化を重ねてどんどん数が増え、複雑化し

本当に伝えたいこと、本当に現したいことが、言えば言うほど本質から遠ざかっていくような

虚しさを感じることが多い。

そういう感じを持っている人は、きっと私だけではないだろうなと思っている。

 

気持ちと言葉が乖離しているのだ。

まだ「言葉」が「万のことの葉」であった時代・・・「万葉」の時代にまで

せめて遡り、音を感じ、響かせたい。

おそらく、万葉の時代には、もうすでに乖離が始まっていたはず。

乖離以前にあったと思われる一致の時代を、これから新たに掴み取るために

せめて、私たちが受け継いで今なお体現し得る大和言葉を味わい深く使い

万葉の響きで唄を唄いたい。

歌は、響かなければ歌ではない。

 

最後になったが、最近の私の感覚では

命令形は已然形の響きに聞こえるようになっている。

 

相手を自分の意のままに動かす意図を手放せば

それは「命令」ではなく「強い願い(祈り)」となる気がする。

 

「君に幸あれ」が、命令ではなく願い、祈りであることは明白だろう。

 

2015/10/24


完了の助動詞「たり」

文語の助動詞「たり」には、二種類の異なる「たり」がある。

一つは、完了の助動詞「たり」

もう一つは、断定の助動詞「たり」である。

 

断定の方は、主に中世以降に使われたらしく

あまり古いものではなさそうだ。

 

完了の方は・・・中古、つまり平安時代によく使われるようになったというから

これもさほど古いものではない。(いや、それなりに古い)

上代(飛鳥、奈良時代)に、完了の助動詞としてよく使われていたのは「り」であり

これが中古になって、「たり」の普及で衰退していったようだ。

 

こんなことを、ふと調べてみたくなったのは

「ひふみよいむなやここのたり」(一二三四五六七八九十)

の「たり」が「十」に相当し、ある意味、一から始まった流れが十で完了すると知り

「たり」が「完了」ってことは、完了の助動詞「たり」ってそのまんまかい!っと思ったからである。

完了の助動詞「たり」「り」は、他の完了の助動詞「つ」「ぬ」と違い、

存続の意味も持つというのが、ふと頭をよぎり

なるほどなと、一人納得した。

 

というのは・・・

「たり」「り」は、動作が完了するとともに、その継続の状態も現すから

「~した」という普通の過去形や、

「~してしまった」という完了形とはどうも違うなということ。

「十」で完了した流れは、そこで終了ではなく存続するということかな・・と思ったのだ。

 

しかし、調べてみた結果

「たり」は中古以降、それ以前は「り」がよく使われたようだから

「完了・存続」の意味を持つのは、むしろ「り」という音の方に何か関係がありそうだ・・

などと思った。(ラ変動詞や、ラ変型助動詞を見ていてなんとなくそう感じた)

 

ついでに、前々から思っていたことで

平安以降の作品で頻繁に見る、過去の助動詞「けり」は、

古事記なんかでは見かけることが少なく

過去を現すには、助動詞「き」(もちろん活用形含む)が多く使われている。

「き」という音と「過去」というものとも、何らかの関係があるのかなあ・・などとも思ったことがある。

学校では、直接体験は「き」、間接体験は「けり」なんて風に習うわけだけれど

時代による違いも考慮に入れてると、確かに大変だし混乱もするだろうし

それぐらいの「押さえ」が適当かもしれないが

もうちょっと、なんというか・・・

その音を自分の口で発してみて、耳で聞いてみて

その響きを感じるとか、受け止めるとかをしてみたいなあと思う。

そういうことは、学校ではなかなか難しいのはわかっているが。

 

もう一つ、古文を読んでいていつも思うのは・・・

歌については、口語訳しない方が断然気持ちが伝わることが多いなあということと

上代は、古いくせに、平安以降の古文よりわかりやすいということ。

これは、漢語がまだ少ない(ほぼない)こと(案外今でも意味の通じる大和言葉が多い)と

助動詞や敬語の種類がうんと少ないことが理由だろう。

 

とりとめなく、思いつくままに書いてしまった(汗)。

結論も何もなし。

何が言いたいということもなし。

 

また、学術的な裏づけは全くなく

私の思い付きを備忘録的に書き留めているだけなので

専門的なツッコミはごカンベンを~。

あしからず。

2015/09/27


袖振り合うも

「袖振り合うも多生(他生)の縁」という諺がある。

『多生』の部分は、『他生』と書く場合もあるようだが、

どちらも前世での縁というような意味であり

解釈の上で基本的には大差ない。

(『多少』と書くと、まるで意味が違ってくるし、諺としては間違いになる。)

 

『多生』とは、六道(天道、 人間道、修羅道、 畜生道、餓鬼道、 地獄道)を何度も輪廻して生まれ変わること。

だから、この諺の意味は

「一生を何度も繰り返すうち(多生)に、どこかで縁があり

どこでどんな縁があったかは、その時点での現人生ではわからないながらも

全ての縁は偶然ではなく、深い因縁の元で出会うのだから、どんな些細に見える縁も大切にしなさい。」・・・おおよそこれが一般的な意味だろう。

『他生』も、前世(前々世・・・あるいは来世)での生涯を指し、

この字の場合も上記と同様の意味合いで使われている。

 

『多少の縁』という間違った字が使われやすいのには、理由があると思う。

それは、「袖振り合う」のが「些細なこと」だという誤った認識からきている気がする。

実際、「袖振り合う」のところが「袖すり合う」として広まってもいる。

 

上にも記した

「どんな些細に見える(袖をすり合う程度の)縁も大事にしなさい」という一般的な解釈には

すでに、『多生(他生)の縁』を『多少の縁』に置き換えてしまいそうになる

ある種の勘違いが潜在している気がする。

 

縁というものは、「ほんのちょっと」だろうが、「多大な影響」だろうが

同等に働く基本的な(裏の)システムのようなものと、私なんかは思っている。

 

この諺が生まれた当初、そしてある程度広まり定着していった頃というのがいつごろであるかは、確定できないが

 

室町時代の御伽草子『蛤の草紙』に

「なさけなき人かな。物の行ゑをよく聞き給え。袖のふり合わせも他生の縁と聞くぞかし」

とあり、ここでは『袖のふり合わせ』となっているのに対し

時代が下って、江戸初期の仮名草子『竹斎』(巻上)には

「一樹の蔭(かげ)、一河(いちが)の流れ、道行き袖の触れ合わせも、五百生の機縁」

とあり、『袖の触れ合わせ』・・・つまり『袖すり合う』の原型とも言えるような言い回しに変化している。『振る』のでなく『触れる』のだから、互いの袖が触れて『すり合う』のイメージになる。

しかし、並列して挙げられている『一樹の陰』『一河の流れ』には、「些細な」の意味合いは見られず、同列の『袖の触れ合わせ』にも「些細な」の意味合いはまだ少いように感じる。

 

それが、時代を経て現代に至っては「袖をすり合う程度の些細な縁」という解釈にまで落ちてしまった。

 

「袖を振る」と「袖が触れる(摺れる)」は、全く別物だと言いたいのだが

うまく伝わっているだろうか?・・・(はなはだ心もとないw)

 

古来日本語の「袖を振る」には、相手の魂を呼び寄せるというような呪術めいた(呪術そのものかもしれない)意味合いが色濃くあり、そのことを知っていたなら、そこに「些細な」というイメージは決して生じてこないと思うのだ。

 

「どんな人や物事との出会いも、すべて深い因縁の元に起こっていることである」

という解釈を、「些細なことにも意味がある」とか「だから大切に」とする教訓は

まあ、それはそれでいいかなとは思うけれど、わたし的には、イマヒトツ。

 

むしろ、

「どんな重要と思える出会いも、些細と思える出会いも、すべてお任せ状態でいいよね」

と言いたい私には、

「まあ、人生いろいろだし、

袖を振り合うような(互いにひかれあう等々、他にも色々)ことも

どうしようもなくそうなっちゃったことだらけなんだから

ぜ~んぶ、自我の私には見えない因果の応報で起きている縁ってことを了解して

そのまんま、OK!って、YES!って、GOサイン出して行こう」

みたいな解釈が、今のところ、気に入ってる。

2015/05/15


間接体験 過去の助動詞「き」

文語文法では、過去の助動詞は二種類ある。

一つは、よく知られた「けり」で、もう一つは「き」である。

(ややこしくなるので、活用形については省き、終止形のみの記述とする。)

ただし、「けり」については、過去の意味の他に「詠嘆」の意味もある。

俳句でおなじみの「~けり」だ。

 

この「けり」は、たいてい(学校などで教わるとき)『間接体験』の過去と言われ、

『直接体験』の過去「き」とは、はっきりと区別される。

つまり、自分自身(あるいは登場人物自身)が直接体験したことには「き」を用い

他人が経験したとき、もしくは一般的にそう言われていることを述べるときには「けり」を用いるというわけだ。

この説明は明快で、よくわかる。

・・・わかるのだが、ちょっと待ってと言いたくなる部分もある。

 

現代の日本人である私たちは、『直接の過去』も『間接の過去』も特に区別はしない。

(多分、英語にもその区別はないんじゃないか)

なぜ日本語には、過去を述べるとき、直接と間接の区別をしたのだろうか?

そして、なぜ、「けり」の方は「過去」と「詠嘆」の意味の両方を併せ持つことができたのだろうか?

 

このことについて考えるまえに、もう一つ触れておきたいことがある。

それは・・・、古事記ほど古い文献になると、「けり」の使用頻度は格段に下がり、過去の助動詞のほとんどは「き」が用いられているということである。

 

もしかしたら、こういうことが言えるのではないだろうか。

古い古い時代、私たち日本人にとって、過去とは直接体験するものであったということ。

つまり、一般化された時間軸(客観的時間)は存在しなかったのではないかということ。

単なる推測に過ぎないが、さほど的外れでもないような気がしている。

 

「けり」の方は、「き」と「り(完了の助動詞)」が合わさって出来たものかもしれない。

「き」という音は「気」でもあり、「気」は「け」と読むこともしばしばある。

 

「き」は、主観的体験を示す「気」であり、記憶であり、「木」でもある。

古い日本人は、「木」を、客観的物質とは見ていなかったのではないか。

聳え立つ木の中に、年輪を観ることができたのではないか。

年輪は、木の記憶である。

木々が鬱蒼と生い茂る森の中に佇むと、なんとも言えず「気」の透く思いがするものだが

そのとき人は、自分を客観的な枠組みでかたどることを停止し、

極めて主観的な眼差しを持つのかもしれない。

 

客観的世界に戻ってきたとき、人は社会人として、共通の了解のもと、同じ時間と空間を共有するために、己の主観的時間(空間も)を下に沈めてしまうのだ。

そういうことは、すでに平安時代には一般化して、「けり」と「き」の使い分けが生じていた。

そして現代では、使い分けはおろか、その両方ともが消え去り、己の直接体験という記憶は、客観的時空という尺度の中で「過去」の名を被せられている。

今ある自分の中に、直接体験の過去「き」が持続として息づいている。それは、過ぎ去った「過去」ではなく、今なお私たちを支え、私たちとともにある「き」なのだと思う。

 

そんな「き」から派生した「けり」は、間接体験の場合に用いられてはきたが、「詠嘆」の意味で今も(細々とかもしれないが)生き残っている。

 

説明が足りず、かなり荒っぽい文章になってしまったが、とりあえず、今のところの

覚書とする。

2017/01/07


学校文法への違和感が示すところから

職業柄、学校文法には、一般の人よりもやや強く関わりを持ち続けているものだから

日頃、何かと学校文法に関して違和感を覚えることも多く

かといって、文法学者ではないし、その違和感を学術的に考察するなどということは

試してみたこともなかった。

ただ、自分の言語感覚から「こうではないのかな?」と思える事柄について

ブログなどでチョコチョコと書き出してみるだけの、極めてワタクシ的な覚書が

いくらか溜まっては、きていた。

 

今後も、学問としての考察をするつもりはないけれど

自分の言語感覚に沿う趣旨の「文法に関する新しい発想」を書籍などを通じて知ったときは

それまで(疑いながらも)常識だった事柄が、ガラガラと音を立てて崩れ去る(ある意味、破壊と再生)の心地よさに誘われて、なにやら書いていこうとは、思う。

 

前々回のブログで、過去の助動詞「き」「けり」について

思い浮かぶままに書いたところ

藤井貞和さんの本『日本語と時間』『日本文法体系』をコメントで紹介いただき

早速購入して(2冊続けて)読んでみると、なんとも気持ちのいい破壊ぶり(笑)で、

非常に楽しく読ませていただいた。

 

あまりにたくさんの「破壊」(いい意味で言ってます)が、一気に押し寄せたため、

私の頭の中の整理が追いつかず、どこからどう手をつけてよいやら皆目見当もつかないが

何か外に出さなければ(書くなりしゃべるなり)落ち着かず、頭の中にワンサワンサと

言葉の欠片が湧き上がってきてかなわない。

 

こんなことを書き並べているくらいなら、早く本題に少しでも入ればいいものを・・・

と、思いつつ、今日は、やはりこれ位しか書けそうにない。

(ちょっとザンネンでクヤシイ)

 

そうだ、一つだけ、短く書けそうなことがある。

そこだけ書いておこう。

 

それは、文語文法において、『助動詞の意味』とされているものは、「意味」ではなく「機能」であるというところ。

例えば、学校文法では、「けり」の意味は「過去」と「詠嘆」

「む」の意味は「推量」「意志」「適当・勧誘」「仮定・婉曲」・・・

であるが、著者によると、そんな風に、機能に名前をつけて、こんな使い方もあると発見するたび、次々に新しい「意味」として二字熟語の名づけを増やしていっているだけということ。

これには(も)大きく拍手したくなった。

著者は、助動詞と呼ばず「助動辞」と呼ぶので私もそれに倣うが、

助動辞の意味というものは、そんなこまごました「機能」のことではなく

その助動辞が、本来持つ(より大きく深い)意味を辿り、

共通性を見つけなくてはいけないと思う。(アナロジー思考に通ずる気がする)

(だから、高校生が助動詞の意味を丸暗記して、さらにその違いの見分け方を習うのはナンセンスだということを、ここでも確信!)

 

「けり」を例に挙げて説明したくなってきたが、これ以上書くとかなり長くなりそうなので

また、いつかの機会に書いてみたい。

2017/ 1/11


言語の裏にある言語を支える場所

昨日の続きを書こうと思っていたが、その前に押さえておきたい(私にとって)大事なところがあるので、今日はそこから。

 

藤井貞和著『日本語と時間』  〈時の文法〉をたどる   

の「始めに」の中で、著者は次のように述べている。長くなるが、うまく要約する自信がないので、ところどころ略しながら引用することにする。

 

(以下引用)

 

 かつての日本語には、時間をあらわす「助動詞」(私は助動辞と呼びたい)が六種、ないし八種あった。古代人は時間を類別して、六通りないし八通りに、せっせと使い分ける言語生活を送っていた。

 現代人はしかしながら、六通り、ないし八通りに使い分ける、かれらの時間の仕分け方を、よくわからなくなっている。~中略~

 表現は微細な分析のうちにあるばかりでなく、多様な時間が行きわたる、語りの存在感のなかにも宿ると見るべきだろう。〈き、けり、ぬ、つ、たり、り〉は意図的に交叉するようにして、たがいに関係的に配置されていると見て取れる。それらが支えあって、文ぜんたいに周(アマネ)く行きわたろうとする、感情や思想の整いを保証する。そういう全体性にふれてみたい。~中略~

 古文の七~八種の時間の差異を知ってのち、近代文学や現代詩歌に接すると、われわれの近代や現代での文体を創る苦心とは、それら喪われた複数の時間を復元する努力だと知られる。これはおもしろいことだ。その意味で、日本語としての古代語から現代語までの一貫性は喪われ尽くしていない。~後略~  

                           (「始めに」 より引用終わり)

*注:赤字は私が勝手に施した

 

ここでわかることは、著者の目的は学校文法(従来の文語文法)批判などでは決してないということだ。

昨日、私は『学校文法への違和感が示すところから』というタイトルで覚書を書いた。確かに、日頃学校文法に対して違和感を感じていたし、快く思っていない部分もあったが、だからと言って、批判(ここが間違っていると質したいとか、だから学校のお勉強はダメと言いたいとか)をしたいわけではなかった。(教える内容や教え方に改善の余地はたくさんあるとは思っているが)

私自身が感じる「違和感」を頼りに、私なりの(私が納得できればいいという程度のものに過ぎないが)、私にとっての日本語、言葉というものについて考えてみたかったのだ。

そういう意味でも、藤井氏の文法解説は大変有意義でありがたかった。

 

上の引用文の内、赤字の部分・・・ここが、ものすごく私の胸を打った。ぼんやりとしか感じられていなかった「私にとっての大事なこと」が、集約されている。

多くの古代語が消え、新しい日本語が続々と出現し、多様な言葉が溢れかえっている現代に生きる私たちは、皮肉にも、少ない言葉で多様な意味を表現する術を喪いつつある。

古代語の復活を唱えるのではなく、現代語の中に生きて呼吸し続けている日本語の精神を見つけ出したいと思う。ほんの小さなとっかかりでもいい。その方向に向かって歩みを進めたいと思っている。

 

また、藤井氏は「krsm四面体」なるものを提唱する。

 

(以下引用)

 ksrm四面体は古代日本語から導かれた。古代人に限ることなく、現代人にも、世界にも通用する、普遍言語のモデルだということが最終的な私の主張となる。個人の脳内にも、あらゆる社会内部にも、いろいろなヴァリエーションがあるにせよ、一つずつ、これを持たされ、駆使して、会話やコミュニケーションをわれわれは試みている。     

  (1章 時のありか より引用終わり)

 

 

私たちは、おそらく、言語の本質を知らない。表に出ている言語(音声も表記も含め)の裏に、どれだけふくよかな世界が在るのか、人と人との間に、見えるコミュニケーションの裏側で、どれだけ深く厚い真のコミュニケーションが行われているのか、もしも、それを目撃できたとしたら、私たちは、もっと慎重に(大切に)言葉を使うようになるだろう。

2017/01/12

前置きの続き

藤井貞和氏の『日本語と時間』及び『日本文法体系』を読んでから

一度自分なりに整理しておきたくなった文法のことを

少しずつ書き出していこうと思っているが、これがなかなかに遅々と進まない。

 

受けた衝撃が広範囲に及ぶということ、また深部にまで届いているということが

その理由だが、なにより、整理できていないものを整理するために整理するという

わけのわからない方法をとっているため、何から書き出してよいものやらさっぱりわからない。

 

気になるキーワードをいくつか挙げてみると

1 言葉の背後に隠れ、暗躍している四面体構造

2 「とき」とは何か

3 「もの」の不動性

4 変格活用動詞は何故変格のまま長期間にわたって使用され続けたか

5 助動辞(助動詞)の成り立ち(そこに導いた動詞の存在)

などなど・・・まだまだ細かく書けばたくさんある。

書いているうちに、何か一つのものに収束していく予感がないでもない。

 

このブログを書いている私の立場(立ち位置)は、

学校文法について何かひとこと物申すというところではないし

藤井氏の文法論の解説をしようというのでもない。

(だいたい、藤井氏の説に全面的に賛同しているのでもない。

氏の主張が明確に理解できたとも思っていない。

自分の持つ疑問や感覚に大いなるヒントをいただいたと思っている。)

 

私が日頃からぼんやり思い浮かべていた文法についての思い付きに

藤井氏の文法論から喚起された「気づき」を加味して

さらに(私の中に)掘り下げていきたいというものである。

 

まずは、やはりkrsm四面体の話から始めるべきか。

はたまた、日本語で「時」という場合、古くは時節(タイミング)のことを言ったのではないかという話から始めるべきか。(客観的時間が生じる前の話)

どれを最初に持ってきても、必ず相互に絡み合うものだから、ううんん・・・どうしようと

唸ってばかりいる。

 

唸るだけで二日も過ぎた。

 

ひとまずここで、前置きにしかならなかった「続き」をアップしておく。

次回こそは、本題の一つに入りたい。

2015/01/15


言葉の背後で暗躍する四面体

五つのプラトン立体の中に、正四面体があるが

ヌーソロジーにおける幾何学とは「精神空間の幾何学」であるとされていて

このような幾何学の捉え方(考え方)からすると

言葉の裏に隠れている立体があり、それが言葉の背後でうごめいている(暗躍している)というふうに考えることは、全く不自然なことではない。

 

藤井貞和氏が提唱する「krsm四面体」を知ったとき、まず思い浮かべたのは

その意味での四面体だった。

 

以下は、藤井氏の説を取り入れながらも、その解説や考察をするのではなく

私個人の気付きの整理という視点から書いていこうと思う。

(藤井氏の説を詳しく知りたいかたは、前記事に書籍のリンクを貼っているので、それを参考にしてください。)

 

画像の添付をすれば見やすいのだが、できるだけ文章のみで書くことにする。

 

まず、頭の中に正四面体を思い浮かべる。

頂点が四つ。辺が六つ。大きさはない。(距離のない世界での話だから)

下に三角形を一つ描いて、それぞれの頂点から上部の頂点に線を結び、三角錐を描く手順。

 

便宜上、場所を固定すると

下部三角形の左頂点に、「r」(「り」または「あり」)を置く。

下部三角形の右頂点に、「m」(「む」または「あむ」)を置く。

下部三角形手前頂点に、「s」(「し」または「あし」)を置く。

三角錐上部頂点に、「k」(「き」)を置く。

 

そうすると、

「r」と「m」を結ぶ線上に「らむ」が出現し

「r」と「s」を結ぶ線上に「らし」

「k」と「r」を結ぶ線上に「けり」(「けり」は「き」+「あり」)

「k」と「m」を結ぶ線上に「けむ」(「けむ」は「き」+「あむ」)

「m」と「s」を結ぶ線上に「べし」「まし」が出現する様子が見て取れる。

 

これが何を意味しているかというと、

従来、助動詞はそれぞれ単独に意味を付加され、個別に活用や接続の分類をされてきたわけだが

線上に位置する助動詞は、二つ(頂点)の基本の助動詞の組み合わせであることがわかる。

たとえば、「けり」という過去の助動詞は、「き」という過去の助動詞と「あり・り」という「存在・存続」を表す動詞との複合体だということ。

だから、「き」が、すでに起きて今はもうないことであるのに対し、

「けり」の方は、過去に起きたことが、今も存在しているという意味合いを、その語感の中に含みもつのだ。

「けむ」が過去推量と呼ばれるのも、そのためだし

「らむ」が現在推量と呼ばれるのも同じ理由による。

 

こう考えると、「けり」は間接体験の過去で、「き」が直接体験の過去だという従来の説明が

なんとなく腑に落ちなかった理由がわかってくる。

 

古事記を読むと、過去を示すのに「き」ばかりが使われていて、「けり」は滅多にお目にかからないというのは、当時の古事記の記述者にとって、古事記の(で語ろうとする)内容は、「すでに起きて今はもうない」事柄ばかりだからなのだ。

「き」は、積極的過去とでもいうべきもので、「き」が出た時点でそこに過去の時間が現れると言ってもよい。

一方、平安文学の物語ではしきりに「けり」を目にする。あれは、物語の中で進行している事柄だから、過去であっても「あり」の意味をを含む「けり」でなければ落ち着きが悪いのだ。

物語の中では、(ちょうど映画と同じように)その中に独自の時間が流れている。そこを現すのに、「き」と「けり」はうまく使い分けられている。

「けり」の本来は、動詞「来(けーきあ)り」だろう。もっと言えば、「き」の本来はカ変動詞「来」の連用形「き」に強く関係するだろう。「来」が過去の意味を持つ助動詞になっていくのは、感覚的にはよくわかる。藤井氏が述べているように、おそらく、元になる語Xがあったとして、そのXから、動詞「来」と助動詞「き」が生まれたのだろう。その時、「あり」を含み持つ「けり」も派生したのかもしれない。

また、「き」の未然形「せ」、連体形「し」、已然形「しか」は、S音であり、「為」という動詞の存在も関わってきそうだ。

そして、この「来」も「為」も、大変重要な動詞である。その証拠・・・とまでは言えないが、「来」「す」は、変格活用の動詞である。現代語でも「来る」は、数ある動詞の中では希少な変格活用をする動詞の一つ(関西圏では、「す」も未然形にいまだ「せ」を使う・・・「せえへん」「せん」など)なのだ。

 

 

四面体の話に戻る。

 

先ほどは、四面体の四つの「頂点」と五つの「線」上に助動詞を当てるところまで書いた。

次は、これらを三つに分けた「領域」について書いてみる。

 

藤井氏は、

「k」~「r」にかけての領域を「時間域」

「s」周辺の領域(受け持つ守備範囲)を「形容域」

「m」周辺の領域(受け持つ守備範囲)を「推量域」としている。

(受け持つ守備範囲なんて言い方は私が勝手にしているだけです)

 

こう見ると、これまで推量の助動詞「む」の、「推量」というのが

「未来」を指すようなイメージが強かったのに対し、

あくまで「推量」なのだというのが強調されて、とてもわかりやすくなる。

どういうことかというと、私たち現代人は、時間を「過去」「現在」「未来」という直線上のイメージで捉えてしまい勝ちなため、「推量」を時間軸上の未来と同一視してしまいそうになるが、「推量」そのものは、時間軸の上には立っていないということだ。そして、その「推量」が時間軸上の「未来」というものを作り出していく。

 

また、形容域の「し」についても、形容詞として独立していく前段階のようなものが伺える。

「あり・り」との線分上に「らし」が出現すると書いたが

「らし」は「らしい」に通じる。「らしい」という感覚が形容の始まりかもしれない。

 

まだ、四面体がどのように言葉の背後で暗躍しているのか・・・について

全然触れることができていないが、

普段何気に使っている言葉のうちのいくらかは

上述したような助動詞が持つ基本の概念が、互いに絡み合いつつ外部に出てきているというあたり、少し押さえられたかなあと思っている。

 

 

ということで、かなり長くなったので、まだまだ言い足りないところを残しつつ

今日はこの辺で、いったん締めることにする。

2017/01/15


時を見る目

現代人の私たちは、普通「時」と「時間」をほとんど区別なく使うことに慣れてしまっているが

「とき」「じかん」というふうに、仮名に置き換え、実際に発音してみると

随分と違うニュアンスを感じることがあるように思う。

 

古文の中で出逢う「時」は、必ずしも現代で言う「時間」とは一致しない。

「潮時」や「その時」と言う場合の、「時節」「好機」(時期、時代、時勢)を現すのだと思う。

つまり、タイミングに近いニュアンスだ。

(「時間がかかる」というような意味では「時」は使わないだろう。)

 

哲学的な意味での「時」論はさておいて(今の私に言えることはほとんどない)

ここでは文法的な意味での「時」について

「ぬ」「つ」という二つの助動詞から、考えを進めていきたい。

 

昨日は、krsm四面体という、古語の骨格とも言うべき基本助動辞(助動詞)について少し書いた。

その中の四つの頂点に位置する基本助動詞(ややこしくなるので、以下助動詞と記す)は

(いわば、関節に当たる部分か)「き」「(あ)り」「(あ)し」「(あ)む」の四つである。

 

この中の「(あ)り」に、「ぬ」または「つ」を複合させると、

「ぬ+(あ)り」→「なり」

「つ+(あ)り」→「たり」となる。

 

簡単に言うと、「なり」という助動詞の中には「ぬ」の意味と「あり」の意味が含まれていて

「たり」という助動詞の中には「つ」の意味と「あり」の意味が含まれているということになる。

 

ここで、「ぬ」と「つ」についてごく単純な説明をしておく。

どちらも、一般には「完了の助動詞」と呼ばれるが、実際的には

「ぬ」には、「差し迫っている状態」(今まさに~なろうとしている)が表現されている。

そして、「つ」の方は、「たった今そうなったばかりという状態」が表現されている。

 

それらに、それぞれ「存在」の意味を持つ「あり」がくっついた「なり」と「たり」には

元の「ぬ」「つ」とは、おのずとニュアンスの違いが生じる。

(「たり」は完了だけでなく存続の意味もあり、むしろ存続で使われることのほうが多いかもしれない。これはしごく当然のことだったのだ。)

 

「なり」には、「伝聞」の助動詞もあるが、成り立ちがどうやら違うようなのでここでは扱わない。

 

「つ」を二つ重ねて「つづく」という言葉が出来ているあたりも、納得できそうだ。

 

「つべし」「ぬべし」のように、後に「べし」をつけると「強意」の意味になるとされるが

前にも書いたように、意味が変わる(あるいは増える)と捉えるより、使える機能が増えると捉えるのが良いように思う。

 

あまり細かいところに注意を払いすぎても、いっこうに前に進まないので

言葉の足りないところは自覚しつつ(あ、ここでも「つ」の重ね)、次に行くことにする。

 

さて、古語では、「時」の表現に、ほんの短い助動詞一つで(一文字とか二文字で)でさまざまなニュアンスを示すことができる。

 

krsm四面体で現される助動詞の周りに「ぬ」と「つ」を周回させることで、見事にその多様な意味合いを表出させている。

実に感服するほかない。

なのに、これまで私は、文語助動詞一覧表を何度となく眺めながら、そんなふうに感動を覚えたことはなかった。接続からの分類や、意味の上からの分類が、逆に混乱を招いていたのだ。

機能でしかないものを「意味」だと思い、驚くほどたくさんの「意味」の名前を見て

それに当てはめるような訳の仕方で、ニュアンスをなかなかつかめないのも無理からぬことだったのだ。

 

「時」を見る目が、「時」の助動詞を選んでいるのかもしれない。

その目を失いつつある現代、「時」の助動詞の種類が少なくなったのも当然か。

「時」を見る目は、「時」の中には決して存在できない。

それは、krsm四面体やそれを周回する「ぬ」や「つ」の音を

自由自在に操れる場所にあるのだろう。

 

それは在る意味、究極の「今・ここ」のことかもしれないと思う。

人がものを語るとき、発生した音によって「過去」も「未来」も生まれるからだ。

2017/01/16


変格活用の動詞とkrsm四面体

日本語の動詞は、動詞それ自体が活用することで過去形を現すことはない。

だから、活用するとはいっても、英語のような活用(過去や過去分詞、現在分詞)を思い浮かべると混乱するだろう。

日本語の場合は、膠着語の特徴として、下に次々と助動詞や助詞、名詞などをくっつけていくため

そのくっつける法則が存在していて、それが用言の活用形となっている。

 

おなじみの「未然・連用・終止・連体・已然・命令」の六つの形である。

(口語では「已然形」は消えて「仮定形」となるが、この二つは同型ながら、まるで別物なので注意が必要)

 

活用する品詞は、「動詞」「形容詞」「形容動詞」の三つの用言と、助動詞である。

 

「ぬ」「つ」(「なり」「たり」の出現)のところで書かなかったことを、少しだけ補足しておくと・・・

「形容動詞」というのは、状態を現す名詞に「なり」「たり」がついたと見なしても、大きな差支えはないと私(個人的に)は思っている。

(「~に」「~と」という活用で不自然かどうかで見分けると良いのだが、本質的なところに向かう話の中では、そこの部分(品詞分け)はあまり重要ではないと考えている。)

   例・・・「さやかなり」→「さやか」+「なり」

       「朗々たり」→「朗々」+「たり」

 

また、「形容詞」については、これまでほとんど言及していないが、krsm四面体の「s(し)」が形容領域であるというあたりを押さえておく。

 

そして、いよいよ「動詞」の活用について書いていくことにする。

(ああ、いつもながら前置きの長いことよ)

 

動詞の活用の種類には、

「四段活用」「上二段活用」「上一段活用」「下二段活用」「下一段活用」という

一定の規則性を持って活用するグループと

それらグループからはみ出す「変格活用」が4種類ある。

「カ行変格活用」「ラ行変格活用」「サ行変格活用」「ナ行変格活用」の4種類である。

  

 *現代語で変格活用が残っているのは「カ変」と「サ変」のみで、他は五段活用へと移行した。

  現代語では「四段」は「五段」へと形を変え、

  「上二」「下二」は無くなり、それぞれ「上一」「下一」あるいは「五段」へと変遷していき、

  「上一」「下一」も形を変えて(五段になったものもある)今に至る。

 

 

私には、(これもまた非常に個人的にだが)変格活用の動詞が、数ある動詞の中で特に重要な動詞だったのではないかと思えて仕方がない。

 

一つずつ見てみると

「カ変」・・・来

「ラ変」・・・あり(をり・はべり・いますかり・いまそがり)

「サ変」・・・す(複合動詞を多数含む)

「ナ変」・・・死ぬ・去(往)ぬ

 

ほらほら・・・あの、krsm四面体の「k」「r」「s」がそのまんま・・・

四面体の外側を周回する助動詞「ぬ」が、「ナ変」に相当するかもしれない。

「ナ変」=「死ぬ・去ぬ」については、

「ぬ」という音に、何か元になる本質的な意味があり

それが、助動詞「ぬ」を生み、また動詞「死ぬ・去ぬ」を生んだものと思われる。

「ぬ」には、本質的に何か共通する意味合いがあるということだろう。

(現代語では、「死ぬ」は五段活用の一般的な動詞になったし(格下げか?)

「去ぬ」は、もはや死語になりつつある。)

 

助動詞として、大事な骨格となる「k・r・s・m」のうちの三つ(「k」「r」「s」)が

動詞では、変格活用という特殊な活用をする三種類と重なるのは

単なる偶然ではないと思う。

 

そうなると、残りの「m」の存在が気になってくる。

「m」は、助動詞では「む」である。

一人称では「意志」を表し、二人称では「勧誘・適当」、三人称では「推量」を主に表し

他にも「仮定」や「婉曲」の機能も持つ、あの「む」である。

 

これに相当する変格活用の動詞はない。となれば

「m」の本質は、動詞にはなりにくい性質のものと考えられる。

 

  *「k」も「r」も「s」も、本質的な何か(仮にX・Y・Zとしておく)が、元にあり、

    そこから動詞や助動詞が派生(出現)するとみている。

 

もちろん、「む」が関係する動詞はたくさんあるし、大事な(気がする)ものもあるには、ある。例えば「む(生)す」なんかは非常に本質を含んでいそうな気がするが、あくまで語幹が「む」であり、語尾に「む」がくる動詞は逆にたくさんあり過ぎて、特殊な感じがしない。

 

まだまだ、確信めいたことが思いつかないままだが

「m」を三角錐の上の頂点に置き、そこから下の三角形に線を下ろすようなイメージはどうだろうか。そのとき、三本の線は足のように見えなくもない。(足は動詞のたとえ)

ちょっとムリがあるな。自分で言ってて変だと思う。

 

ここら辺になると、カタカムナとか、言霊、音霊の世界が大きく関わるだろうから

私には全くわからない世界になる。

しかし、文法を入り口として、そういう世界に踏み入っていくこともアリかもしれないと思っている。

 

まとまりがない文章だが、今日はこのあたりまでとしよう。

2017/01/17

 


ものの不動性

日本語には、「もの」という非常に便利(且つやっかい)な言葉がある。

物質を指しても使うし、人物を指しても使う。はたまた形式名詞としても使われるし

「~とは言うものの」「ものごころ」「ものさびしい」などなど

他の言葉(動詞、名詞、形容詞と多岐に渡って)にくっついて

(寄り添ってという方がふさわしいか)日常の中にとけ込むように(たくさん)使われている。

 

「何者か」と問うとき、それは名前を尋ねているのではない。

「こういう者です」と応えながら、相手に差し出しているのは

多分、相手にとって自分は(おそらく)なにがしかの関係があるということの明示だろう。

 

また、「○○とはこのようなものだ」の、「もの」は、概念としての「もの」であって

それは、この現実世界の何かでは示せない、概念世界の存在である。

古文では、「ものす」という形式動詞が使われる。

どうした、こうしたと、はっきりとは言わず、言葉を濁すようなときに使われるたりもする動詞である。

 

ここでは、哲学的な「もの」の話ではなくて

文法的方面から話を進めてみたいと思っている。

 

まず、二つの代表的な形式名詞「もの」「こと」の比較から。

 

「花とは必ず散るものだ。」

あるいは「子どもは動き回るものだ。」という単純な例文を挙げてみる。

このときの「もの」とは、物体(花や子どもという物質的な存在)ではなく

その本質や概念を指していることがわかる。

この本質(あるいは概念)は、時空上にあるわけではない。

たとえ、どれだけ「動き回るもの」であったとしても、

その「もの」の方は不動の場所に存在するのだ。その意味で、「もの」は動かない。

 

これに対して、

「動かないことは、体によくない。」

または「君の言いたいことはわかるよ。」など、「こと」についての例文を挙げてみると

「もの」と「こと」の違いが見えやすい。

 

「こと」は、出来事に代表されるように、時空上に存在する。

いくら「動かないこと」と言っても、不動の場所という意味での「動かない」とは意味がまるで違う。(この時空の中で動かないというだけのことであって、時空上に在る限り、不動ではない)

 

現代人の私たちは、物質は目に見えるし触れることもできるから、当たり前のように「もの」が時空上(時空の中)に存在すると思ってしまっているが、

「もの」は、時空ではないところ、つまり「不動の場所」に存在している。

物質も、時空上に見ている限りは不動ではないが、

その本質、「もの」として見たときには、「不動の場所」が「もの」の住処となる。

 

そして、「こと」(出来事)の方は、私たちにの目には見えないし、触れることもできないから

つい、時空上(時空の中)にあるとは思えないでいる。

しかし、「こと」は時空上で起きるのだ。

「不動の場所」においては何事も起きていないのではないだろうか。

少なくとも、人間にとっては、時空上で起きることが出来事だし、

「こと」と関連性の深い「言葉」もまた、時空上でのみ使用されるのではないか。

おそらく、「不動の場所」には、言葉はなく、言葉の本質、本源、本来・・・そういうものがあるのみで、そこから時空上へと迸り出たときに「言葉」となって生まれているのではないか。

 

そんなことをつらつらと考えてみた。

2017/0119

 


古事記序文の中で気にかかっていたこと

前々から、古事記の序文で気にかかることがあり

ちゃんと読み返そうと思いつつ数年経ってしまっていた。

今日はふと、そのことを思い出し、古事記を本棚から抜き出して

パラパラとめくってみた。

若干、私の記憶違いもあって、気にかかっていたはずの箇所を見つけるのに

少し手間取ったが、全くの記憶違いというわけでもなく

私の記憶とは少しニュアンスは違ったものの

だいたいの「気にかかっていた箇所」を見つけたので、

今日はそのことについて書いておきたいと思う。

 

太安万侶は、古事記を書くに当たって、まず序文を記している。

(その文章からは、太安万侶の人柄が偲ばれるような思いがする。

おそらく彼は、非常に賢く、とびきり実直な男だったのではないかと。

まあ、そこは今から述べる内容とは無関係。)

 

古事記と言えば、読んだことのない人でも、その書き出しぐらいは聞いたことがあると思う。

「天地(アメツチ)初めて発(ヒラ)くる時に、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神。」

こういう出だしだ。

 

しかし、その前に太安万侶は、(それなりに長い)序文を書いていて

なぜ、今このようなことを自分が書くのかについて、かなり詳しく述べている。

そして、私がひっかかりを覚えていた箇所というのは、次のような形で序文の終わり近くに出てくる。

 

(天皇に「稗田阿礼が誦んだ旧辞を撰び記録して献上せよ」と言われたことに対して

謹んで詔の旨に添うよう、細部にまで注意して正しく書こうと思うが・・・

として、次のように続く)

 

「然れども、上古(イニシエ)の時、言(コト)と意(ココロ)と並朴(ミナスナオ)にして、文(フミ)を敷き句(コトバ)を構ふること、字には難し。已に訓(ヨミ)に因り述ぶれば、詞(コトバ)は心に逮(オヨバ)ず。全く音(コエ)を以ち連ぬれば、事の趣(オモブキ)更に長し。」

 

要するに、奈良時代が当時の現代だとして、その奈良時代と比べて、上古(いにしえ)の時代の言葉(どれくらい昔になるのか定かでない)は、言葉も意味も共に素直な国語であったから、それを今(奈良時代)の言葉に直して漢字で表記することは難しいし、すべてを訓みの字で現すと言葉の意味が充分に通じない。また、すべてを字音仮名で表記すると長くなり過ぎる(これもまた意味が充分に通じない)。

 

と、述べているのだ。

 

だから、あるときには一句の中に、音字と訓字を交えたり、あるときには一つの事柄をすべて訓字で記したり、文中の言葉や意味のわかりにくいところは注釈をつけて明らかにした・・・と言うのだ。

 

つまり、古事記で語る内容は、奈良時代にはもうすでに『いにしえ』のことであり、そこで使用されている言葉は、奈良時代(でさえ)では表現の難しいような『いにしえ』の言葉となっているのだ。

「言(コト)と意(ココロ)と並朴(ミナスナオ)にして」

いったい、どのような言葉だったのだろうか、想像もつかない。

 

ここが、私がずっと前にひっかかっていた箇所なのである。

古事記は、太安万侶が、並々ならぬ工夫、努力をしてあのような文章に仕上げたのだろう。

 

古事記の全文にざっと目を通すと、平安時代やそれ以降の古文に比べて、格段に読みやすいと感じる。その理由は、漢語がないということ、そして最大の理由は、助動詞の種類が少ないということだ。

(平安時代の古文でさえ読みにくいのに奈良時代なんて尚更・・と思う人は、一度古事記を読まれるとわかると思う。漢字かな混じりで、ふり仮名を適切に施してくれさえしていたら、本当に読みやすいこと請け合いだ。)

 

助動詞の種類と敬語が一気に増えて、文体も複雑になるのは平安以降のことだ。

(そこへ鎌倉や室町の時代には漢語がどんどん日本語に取り込まれていき、

私にはもはや辞書がなければワケワカラン状態になっていく)

 

と、話がそれたが、奈良時代の人でさえ「いにしえ」の言葉(言と意)は素直だったと言う、

そんな「いにしえ」の言葉の片鱗が、今もこの現代の日本語に残っているとしたなら

それは、言葉という形の奥底に隠れている構造か、外に現れた音そのものの中だろうか・・・

と、思ってみたりする。

 

古事記でよく見かける助動詞は、やはり「き」「り」「す」「む」「つ」「ぬ」だったということも、付け加えておく。

2017/01/31


「死ぬ」と「死す」

「死ぬ」と「死す」が、和語と漢語由来の日本語の違いであることは一目瞭然だろう。

「食べる(食ふ)」と「食す」の違いと同様だ。

 

しかし、読みが訓と音で明らかに違う「食」に比べ

音訓共に「し」と発音する「死」は、概念自体に混同が見られるのではないかと思う。

 

そんなことから、ふと思いついた幾つかの事柄をいくらか覚書しておこうと思う。

 

 

 

「死ぬ」は万葉集にも記述が見られ、

漢文調の「死す」が文献に現れるより、ずっと古くから使われていたことがわかっている。

そのために、「死ぬ」が漢文の影響で生まれた「新しい」日本語ではないということははっきりと言える。

 

ただ、「しぬ」と同じ(よく似た)意味の漢語「死」が

たまたま同じ音(し)を含んでいたということだろう。(偶々ってスゴイ!)

 

しかし、ここで「し」という音が同じだったために「死ぬ」という字が当てられ

本来の「しぬ」が、漢語由来の「死」の概念と混同されるきっかけとなったと言えるかもしれない。

 

「死ぬ」は、古語ではナ行変格活用動詞(現代は五段活用)であり

もう一つのナ変動詞「去ぬ(往ぬ)」と極めて近い意味を含み持つことが窺われる。

(ナ変動詞には「しぬ」「いぬ」の二つしかなく、そもそも変格活用動詞はそれだけで重要かつ基礎的な意味を持つ和語だと察せられる。)

 

「いぬ」に「s」音がついた「しぬ」は、

 

 

(1)息がなくなる意のシイヌ(息去)の義[日本語源学=林甕臣]。    

   シイヌル(息逝)の義[松屋棟梁集]。 

(2)サリヌルの反[名語記]。 

(3)スギイヌル(過往)の義[名言通]。 

(4)シヲルル、シボム、シヒルの義と通じる[国語の語源とその分類=大島正健]。 

(5)シは〆領る、ヌは歇了る義[国語本義]。

 

とあり、「去ぬ」「往ぬ」との関連性が高いことがわかる。

 

また、活用語尾「ぬ」自体が、完了の機能を持つ助動詞「ぬ」と同音である。

 

「ぬ」という音の面白さ(興味深さ)は、他にもある。

「寝る」は、古語では基本形が「寝(ぬ)」であること、

「寝ぬ」と書いて「いぬ」と読むこと、などから

古語の「死ぬ」には、「去る」「往く」「逝く」「寝る」と深い関連性があると言えるだろう。

 

 

 

ここで、ちょっと話題を変える。

 

「生」と「死」は対義語であるが、同じように

「生きる」と「死ぬ」は対義語と言えるだろうか?

 

現代人の感覚で言えば、

「死ぬ」の対義語は「生まれる」だろう。

この世とあの世の境目を通過した時のことを指して、

「生まれる」あるいは「死ぬ」と言うのだから。

 

ならば、「生きる」の対義語は何か?

 

この世を生きることが「生」であり

あの世を生きることが「死」なのではないのか?

 

「死」という漢語が入ってくるまで、

日本では「死」の世界を「根の国」や「黄泉の国」と呼んだ。

 

そうだったのだ。

 

古来日本人にとって、「しぬ」とは「根の国に往く」ことであり

「寝ぬ(イヌ)」=「眠る」ことでもあったのだ。

 

大陸由来の「死」がそれに取って代わり、「根の国」は深く沈みこみ

「地獄」や「極楽」のイメージがそこに覆いかぶさった。

そのイメージを取っ払う必要が、まずあると思う。

 

「根」とは、その文字が示す通り、植物の根と同義である。

植物は、茎から上の部分(地上)と根の部分(地下)の両方があってこその一つの生命である。

根ごと土から引き抜けば、枯れる。

興味深いことに、「かる」とは、古語ではやはり「死ぬ」ことを意味する言葉なのだ。

「まかる」「みまかる」などに、その片鱗が窺える。

「枯れる」「枯らす」(→「ころす」への変遷)

 

現代、「死ぬ」は「根」とはまるで違うイメージを持つ言葉になってしまっている。

というより、「かる(刈る、狩る、枯れる)」の意味としてのみ、「死ぬ」を使っているということか。

 

「生」と「死」という対義語の関係を見るとき

《「生」を生きる》と、《「死」を生きる》という一対とは別に

     ↓            ↓

   茎から上         根

 

《「生」を生き、「死」を生きる》と、《どちらも生きない》という一対があり

       ↓                ↓

 茎から上と根の両方で一つの生命     枯れる             

 

この二つの対が、混同されてしまっている気がする。

 

前者《「生」を生き、「死」を生きる》こそが、本当の「生」なのかもしれない。

後者《どちらも生きない》が、「かる(枯る)」であり、《根も茎も死んでしまう》こと。

《根も茎も死ぬ》と《「死」を生きる》は全く違うものだ。

そこを混同してしまい、

現代では最も忌み嫌われ、懼れられるものとしての「死」が跋扈し

《「死」を生きる》の意味での「死」を遠くへ追いやり、ついには忘れ去ってしまったのだ。

 

植物が、地上と地下の両方で初めて一つの生命であるように

人間もまた、地上の身体(見えている肉体)と、地下の身体(見えない根)の

二つで一つの生命なのだろう。

 

根を引き抜けば、枯れてしまう。

根から切り離しても、茎から上は(そのうち)枯れてしまう。

 

見えている肉体の中に(重なって)見えない根があるところが

植物とはまた違う人間(動物も)の「在り方」なのだろうが

植物の「在り方」から学ぶところは大きい。

 

 

「生きる」の対義語は「死ぬ」ではなく

自分自身の根を抜くこと、根を切り離すこと、と言えるかもしれない。

これ、すなわち「かる(刈る、狩る、枯る)」であろう。

 

特に現代人は、己を刈り、己の生命を枯らしながら、

他人の生命までも狩ろうとしている気がする。

 

肉体は生きていても、《「死」を生きる》ことがわからなくなっているのだ。

 

「しぬ」が「死す」の意味に取って代わられ、「死ぬ」になってしまったとき

それはすでに始まっていて

特殊なナ行変格活用から、最も一般的な五段活用の動詞になったとき

決定的になったのかもしれない。

 

私たちは思い出すべきだろう。

「し」という音、「しぬ」という音を抽出して

「死」「死ぬ」に張り付いたイメージを取り除くのだ。

シ~ンとした、静かな場所、不動の場所に往く(往ぬ、還る)ことが

「しぬ」ことなのかもしれない。

 

2017/ 06/11