紀貫之覚書(短歌)

古今和歌集

2013-04-29 

 

 

 古今和歌集は、平安時代前期に、四人の撰者によって編まれた最初の勅撰和歌集(天皇の命令で作られた和歌集)です。醍醐天皇の勅命が下ったのが905年とされていますが、一説では905年に成立し、勅命はそれ以前とも言われています。

 

 で、勅命を受けた撰者四人の中に、紀氏が二人いました。紀友則と紀貫之(二人は従兄弟)です。最初の代表者は友則でしたが、編集の途中で病没したため、後を貫之がかわって代表者となりました。

 

 『古今(こきん)』の『古』とは、万葉集から後の古い時代を指し、『今』とは、撰者達の時代(当時の現代ですね)を指します。実に150年間という長期に渡る時代の中の、優れた和歌を集めて(或いは選りすぐって)編まれたものなのです。

 

 成立当時は『続万葉集』とも呼ばれたようですね。巻数も、万葉集にならって20巻ですし。

 

 そんなわけで、万葉時代の終わりごろの、『よみ人知らず(作者不詳)』の歌もたくさん選ばれているわけです。

 

 古今集の特徴は『繊細優美』であると、学校では習いますが、なかなかどうして、万葉の特徴である『素朴で率直』な調べの歌も結構あるのです。

  やまと歌(和歌)の響きは、学校のお勉強では伝え難いものかも知れませんね。

 

 古今和歌集の序文には、仮名序(仮名で書かれたもの)と真名序(漢語で書かれたもの)の二つがあるのですが、紀貫之が仮名序を書いています。先ずはその中から一部を引用してみます。

 

「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。」

 

んー、私なんかは、この辺りでもうジーンときてしまいます(私、異常かも)。

 

「花に鳴く鶯(ウグヒス)、水に住む蛙(カハヅ)の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。」

 

そして、こう続きます。

 

「力をも入れずして、天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり。」(天地ヲ動カシ鬼神ヲ感ゼシムルハ詩ヨリ近キハ莫シ・・・『詩経』からとっている)

 

天地を動かすのに力が要らないとか、目に見えぬ鬼神と言えば、非物質存在ですか・・・そんなものをも感動させるなんて、もう魔法じゃありませんか!

 

 でもね、当時を科学が未発達の文化だと軽く流してはいけない気がするのです。江本勝さんが、水の結晶の写真集を出していましたが、言葉が水に与える影響を見事に見せてくれましたね。素敵な言葉や音楽を聞かせた水の結晶の美しかった事・・・。現代人が鈍感になっているだけかも知れないのです。

 

 

 

 


六歌仙批評

2013-04-30 10:21:13

 

 

 六歌仙と言えば、小野小町や在原業平が有名ですが、平安時代初期の六人の優れた歌人の事です。

  『万葉集』以後、和歌がすたれ、漢詩文が流行していましたが、和歌が再び復活したのは、この六人の活躍が大きいとされています。

 

前の記事で、紀貫之の『仮名序』を引用しましたが、始まりは「やまと歌は・・・」でしたね。これは『漢詩(からうた)』に対して、わざわざ『やまと歌』と言ったのだと思います。それくらい、当時は漢語がもてはやされたというか、インテリの間で定着していたと言えるでしょう(今の英語みたいなもんかな)。

 

 後世にその業績を称えられた六歌仙ですが、なんと、紀貫之は『仮名序』の中で、六人の歌について、非常に辛口の批評をしているのです。そこまで言いますか!というほど辛辣です。

  これも、原文のまま引用してみます。現代語訳しない方が、雰囲気がよく伝わると思いますので。(が六歌仙の名前、が貫之の批評、オレンジが六歌仙の歌、が比較対象した歌人の歌です。)

 

◎喜撰法師

 

「言葉微(カス)かにして、始め、終り、確かならず。言はば、秋の月を見るに、暁の雲に、遭(ア)へるがごとし。」

 

まるで期待はずれ・・・といったところでしょうか。

 

◎僧正偏正

 

「歌のさまは得たれども、誠(マコト)少なし。たとへば、絵に描ける女を見て、徒(イタズ)らに心を動かすがごとし。」

 

なかなか厳しいです(汗)。

 

◎文屋康秀

 

「言葉は巧みにて、そのさま身に負(オ)はず。言はば、商人の、良き衣着たらむがごとし。」

 

成金趣味と言いますか、かっこつけ・・・な感じ?

 

◎在原業平

 

「その心余りて、言葉足らず。萎(シボ)める花の、色なくて、匂ひ残れるがごとし。」

 

手厳しい !

 

◎大伴黒主

 

「そのさま、卑し。言はば、薪(タキギ)負へる山人の、花の陰に休めるがごとし。」

 

あー、山人を卑しいと言ってるわけではなくて、薪を背負った山人なら、大木の陰で休んだ方がいいのに、無理して花の陰で休んでるみたい・・・な感じですか。

 

 

 

◎小野小町

 

「哀れなるやうにて、強からず。言はば、よき女の、悩めるところ有るに似たり。」

 

うーん、確かに、もう一人の女流歌人“伊勢”と比べると、そんな気がしなくもない・・・。

 ちょっと並べてみますね。

 

☆うたた寝に 恋しき人を見てしより 夢てふ物は たのみそめてき(小野小町)

 

☆冬枯れの 野べとわが身を思ひせば もえても春を 待たましものを(伊勢)

 

いかがでしょう?

どちらも恋する女性の心を歌っていますが、確かに『強さ』が違いますね~。小町ちゃんのは、どこか恋に恋する乙女チックな印象で、伊勢さんの方が情熱を感じます。

 

 ここでもう一つ、“在原業平”と“よみ人知らず”の歌を並べてみますね。

 

☆月やあらぬ 春やむかしの春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして(在原業平)

 

☆さつき待つ 花たちばなの香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする(よみ人知らず)

 

いかがですか?

 

 ちょうど今、蜜柑の花(たちばな)が咲く季節ですが、あぁ昔の人もこの香りの中にいたんだなぁ・・・なんて、決して同じ時空で出会うはずのない過去の人に、思いをはせ、郷愁の念まで蘇るような、よみ人知らずの歌・・・。

 業平くんの歌からは、そこまで気持ちが広がらない気がするのですが、まぁ、これは私の偏見ですので。小町ファン、業平ファンの方々、すみません。反論もあるでしょうが、勘弁してやって下さい(笑)。


(注:「さつき待つ」の歌は、伊勢物語の中で女(主人公の男の元嫁)が歌ったもので・・・。その主人公の男というのは在原業平をモデルにしていると言われているから、この歌も結局業平くんに関係しているのですけどね)


 ところで、六歌仙をあそこまで痛烈に批評した紀貫之ですが、彼自身の作を見てみたいと思います。

 

 百人一首にも採られているあの有名な一首。

 

☆人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香に匂ひける(紀貫之)

 

 変わらぬ梅の美しさと、人の心のうつろいやすさを歌っているとされています。

  古里の幼なじみの女が、「宿はこうして昔のままあるのに、来て下さらない」とすねた事に対しての挨拶の歌・・・とされていますが・・・。

 

 

 さて、話はかわりますが、私が小学校の修学旅行で京都に行った時、土産もの売り場で素敵な『匂い袋』を見つけました。香水のような強い匂いではなく、ほのか~に優しく匂う、赤い錦糸の小さな巾着袋でした。家に帰って袋の紐を解いてみると、中に紀貫之の歌『人はいさ・・・』が書かれた紙が入っていました。歌の意味など分からない小学生の私でしたが、何かこう、感じるものがあったんですね。風景が浮かぶと言いますか、その場に自分が立っているような臨場感と言いますか・・・。

 

 歌が詠まれた背景を習ったり、文法の解説をしてもらって、より深く歌を知る事も大事かも知れませんが、音そのものや言葉そのものから、印象をダイレクトに受け止める・・・という事も忘れてはいけない気がします。

 

 貫之は、六歌仙を厳しく批評していましたが、そこの所を言いたかったのではないでしょうか。仮名序にも書いていたように、「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」なのですね。美しい言葉で飾り立て、優しく語らったとしても、心にないものを現したなら、それは、松の木に咲く薔薇のようなもの。グロテスクですね。人はそのように、心を取り繕う事があるけれど、本物の花ならば、種の中にその姿を宿しているということなのですね。

 

 

 

 


従兄弟、紀友則の歌

2013-04-30 15:04:57

 

 百人一首33番、紀友則の歌も紹介しておこうと思います。古今和歌集の代表として編纂にあたった友則ですが、途中病没してしまいました。貫之は、その意思を継いでいると考えても良いか・・・と思います。

 

☆ひさかたの 光のどけき春の日に しづ心なく 花の散るらむ(紀友則)

 

 のどかな日の光が辺りを包む春の日、静かに落ち着いた心がないかのように、はらはらと散る桜の花びら・・・。

 んー、分かりますよ~。そういう気持ちの時ってありますよ~と、コメントを入れたくなるような歌ですね(笑)。

 よく似た趣向の歌で、在原業平くんが、こんなの詠んでいます。

 

☆世の中に 絶えて桜のなかりせば 春のこころは のどけからまし(在原業平)

 

 いやぁ、一般論にされてしまうと、感情移入がしにくくなります(汗)。

とは言え、業平くんの「ちはやぶる~」の歌は、漫画でも有名になって、大好きな人も多いと思います。

 人それぞれ、自分の好み、自分との響きあいを楽しめるのが一番ですね。

 

 あくまで私の備忘録、ですが、何かの参考になれば、幸いです。

 ただ、もう一つ言っておきたいことがないでもありません。それは・・・六歌仙が、紀貫之によってこれだけ批判めいたことを書かれながらも、その六歌仙を六歌仙たらしめたのは貫之その人だったということです。

 簡単に言うと、貫之は仮名序の中で、その時代(平安の初期ですね)の歌詠み六人の名前をあげて、この六人以外には歌詠みと言える者はいないというような書き方をしているのですよ。それが後に六歌仙と呼ばれることになるわけで。それだけ歌詠みとして優れている(?)と書いておいて、一人ひとりについてはさんざんな批評をするというあたり・・・。これはもう「謎」ですね(笑)。

 実際、ここのところに言及する研究者は非常に多いと思いますが、結論は出ない・・・貫之がバカなんじゃないか・・的な意見まであるようでね。

 私にはね、ほんと、これは「謎」なんだと思うのです。貫之が懸けた謎は、他にも至る所に見られます。なんだかね、紀貫之って人はとっても遊び心のある懐の大きな人(できた人って意味じゃなく)だった気がするんですよね。

 ぼちぼちでいいんだけど、少しずつこれらの謎解きをしていきたいとは思っています。アカデミックなものではなくてね、自分の趣味として・・・。

 では、また思いついたら書くかもしれません。

 お読みいただき、ありがとうございました!