先月、およそ30年ぶりに再会した友人とランチした。
ファミレスで5時間もしゃべり続けた。
お盆明けの、空いたレストラン。
彼女の「変わらなさ」に、私の「変わらなさ」が触れたひとときだった。
もちろん、30年の間に色々あった。お互いに。
それでも私は、30年前に彼女からいただいた白い洋皿2枚と土鍋を
ずっと使い続けていて、
割れもせず、捨てることもなく、
その洋皿と土鍋が今も変わらず私の食卓に上ることが
なんだか不思議な縁を感じさせてくれる。
まさか、彼女と30年ぶりにまた長話をする機会にめぐり合うとは
思いもしなかった。
表面的には変わっていっても、「変わらないもの」は
ずっとあり続けるのだ。
いや、もしも「ずいぶん変わったね」などということがあるとすれば、
それは、過去の自分にウソをついていたか
もしくは今の自分にウソをついているか
あるいは、その両方か・・・だ。
ウソのない「ところ」は、変わらないし変われないのだろう。
そんなことを、久しぶりに会った彼女とも話し合った。
レストランを出たのは午後五時で、
夏の夕暮れの空は、まだまだ抜けるように青く
私たちは軽く手を振り、それぞれ自分の車に乗り込んだ。
次に会う約束はしなかったが
そんな約束には、おそらくたいした意味はない。
本当の約束は、私たちの気づかないところで為されている気がする。
「変わらない」がある限り。