2013-07-08 21:14:12
母を亡くしてから11年の歳月が過ぎ、百合子が住んでいた町も大きく変わった。道路という道路は全てアスファルトで舗装され、高いビルも幾つか建った。堤防に上がり西の空を眺めても、工場の煙突の向こうに沈む夕日は、もう見ることはできない。
百合子は高校を卒業した後、地元の建設会社に就職し、平凡な社内恋愛の末、めでたく結婚し専業主婦となった。お相手は山間僻地の出身で、精悍な体つきに似合わず、おっとりとした口調の優しくのんびりした男だった。いずれ夫の実家に入るとしても、若い内は通勤にも便利な所に住もうと、二人で探したアパートは、町から少し外れた山手、と言っても、夫の実家ほど山奥ではないそれなりの田舎にあった。
アパートのすぐ横手に小さな川が流れ、土堤はまだ舗装されておらず、雑木や雑草がたくさん生えていた。子供を育てるには絶好の環境だと、二人は思った。
ほどなく百合子は妊娠し、翌年の夏、女の子が生まれた。
秋の風が吹き始める頃には、娘の千沙(チサ)を乳母車に乗せて、アパートの周辺を散歩するのが百合子の日課になっていた。毎日のように散歩するとは言え、越してきてまだ1年あまり、道に迷わないよう、あまり遠くまで足を伸ばすことはなかったのだが、ある日、百合子は見慣れないところまで自分が来ていることに気がついた。
「おかしいな。そんなに歩いたと思えないけど・・・」
雑木林の中をうろつき回る内、百合子は意外なものを見つけた。
それは、空き地であった。小さな祠(ほこら)があり、その横に柿の木が一本立っている。その柿の木の枝に赤く細い紐がぶら下がっていた。百合子は足がすくみ、背中に悪寒が走るのを覚えた。
「ちょっと待って。何?これ、何なの?」
一陣の風が吹き、木の葉が揺れた。そして鈴の音。柿の木にくくられている赤い紐に鈴がついていたのだ。
百合子は後ろを向き、一目散に逃げ出した。乳母車をついているため、走ることは出来なかったが、とにかく無我夢中でそこを離れ、気がつくとアパートの前に戻っていた。
そう、百合子が見た空き地は、子供の頃、『花嫁さん』の家の裏あたりで見た、あの空き地にそっくりだったのだ。踊り狂う女こそいなかったが、異様な雰囲気は、あの空き地そのものだった。
その夜ほど、夫が帰宅するのを待ち焦がれた日はない。赤ん坊をあやすのもどこか上の空で、胸の下あたりが空っぽで、体がまるで上下二つに分かれてしまったような感じがした。帰ってきて靴を脱いだばかりの夫に、百合子はしがみついた。