さくらいろ

中学二年生の時、国語の教科書に、

大岡信さんの『言葉の力』という文章が載っていて

そこで語られていた、染織家である志村ふくみさんのことが

今でも、時々ふっと思い出されることがあります。


少し長くなりますが、一部、引用してみます。


〈引用始め〉

 京都の嵯峨に住む染織家志村ふくみさんの仕事場で話していたおり、志村さんがなんとも美しい桜色に染まった糸で織った着物を見せてくれた。そのピンクは淡いようでいて、しかも燃えるような強さを内に秘め、はなやかで、しかも深く落ち着いている色だった。その美しさは目と心を吸い込むように感じられた。

「この色は何から取り出したんですか」

「桜からです」

と志村さんは答えた。素人の気安さで、私はすぐに桜の花びらを煮詰めて色を取り出したものだろうと思った。実際はこれは桜の皮から取り出した色なのだった。あの黒っぽいごつごつした桜の皮からこの美しいピンクの色が取れるのだという。志村さんは続いてこう教えてくれた。この桜色は一年中どの季節でもとれるわけではない。桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、こんな上気したような、えもいわれぬ色が取り出せるのだ、と。


 私はその話を聞いて、体が一瞬ゆらぐような不思議な感じにおそわれた。春先、間もなく花となって咲き出でようとしている桜の木が、花びらだけでなく、木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿が、私の脳裡にゆらめいたからである。花びらのピンクは幹のピンクであり、樹皮のピンクであり、樹液のピンクであった。桜は全身で春のピンクに色づいていて、花びらはいわばそれらのピンクが、ほんの先端だけ姿を出したものにすぎなかった。


 考えてみればこれはまさにそのとおりで、木全体の一刻も休むことのない活動の精髄が、春という時節に桜の花びらという一つの現象になるにすぎないのだった。しかしわれわれの限られた視野の中では、桜の花びらに現れ出たピンクしか見えない。たまたま志村さんのような人がそれを樹木全身の色として見せてくれると、はっと驚く。

(引用終わり〉


私は、これを読んで深く感銘するとともに、

なんだか、人間にしろ、植物にしろ、動物にしろ、生き物というものの、

その本質のようなものが、

目に見える姿かたちの内部には、とても納まりきらないものなのだと感じました。


大岡さんが本文中に書いているように

『体が一瞬ゆらぐような不思議な感じにおそわれ』たのです。

当時中学生だったこともあり、

それをどう言葉で表現していいのかわかりませんでしたが

今もやはり、時折思い出しては考えてみるのですが

いざ言葉にしてみると、その時ひらめいた直感のようなものは

いまだ言葉にして、伝えることができません。


でも、こうして書けるところだけでも書いてみることで

誰かに、何かが伝わるかもしれませんね。

それが、私の意図する(伝えたいと思う)ものであっても、なくても

全然かまわない・・・そんな風に思います。


youtubeで、志村さんの動画をみつけました。

この話とは関係ありませんが、せっかくですのでご紹介しておきます。


志村 ふくみ(しむら ふくみ、1924年(大正13年)9月30日 - )は、

日本の染織家、紬織の重要無形文化財保持者(人間国宝)、随筆家。

草木染めの糸を使用した紬織の作品で知られる。

2014/1/30 


良寛さん

盗人に 取り残されし 窓の月・・・・・・良寛


泥棒が、良寛さんの庵に押し入ったが

貧しい暮らしの良寛さんの庵には

盗むべきものなど何もなく

泥棒は、しかたなく寝ている良寛さんのふとんを

引き剥がして持っていった。

ふとんを盗まれた良寛さん、

窓の外には満月が・・・

さすがの盗人も、窓から見える月までは盗めなかった・・・


月というのは、真理(悟り)を象徴する言葉でもあるようで

「物は盗めても、真理(悟り)は盗めない」

のような解釈も見かけます。


それはそうとして

良寛さんという人は、とことん『愛語』を使う人だったようですね。

「私は貧しい僧侶で、人に与えられるものは何もない。

せめて、言葉だけは優しいものを与えよう。」

人を和ませる言葉、人の心に届く言葉・・・

良寛さんの口から出る言葉は、ことごとく相手を思いやる言葉だったようです。

ムリをして、頑張ってでも優しくなろうとするのではなく

もう、それしか出ないというぐらい

良寛さん自身が、自分であればあろうとするほどに、

『愛語』がでてしまう、そんな人だったのかもしれません。

数多く残っているエピソードからも、それは伺える気がします。



形見とて なに残すらむ 春は花 夏ほととぎす 秋はもみぢ葉・・・・・・良寛

(異説にいろいろあって、次のように伝えられているのもあります。)

形見とて なにか残さむ 春は花 山ほととぎす 秋はもみぢ葉


  形見に残せるものなど何もないから

  私が死んだあと、

  春には桜を見たら

  夏にはほととぎすの声を聞いたら

  秋には紅葉の色づくのを見たら

  私の形見と思ってください。


そんな感じの意味でしょうか。

じゃあ、冬は?

とか、思ってしまいますが、

これは、次の、道元禅師の和歌を踏まえているのですね。


春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷(スズ)しかりけり・・・・・・道元


だから、あえて言わないけれど、「冬は雪」なのでしょうね。

「秋はもみぢ葉」って、「月」を紅葉に変えているところも

良寛さんらしい気もします。



昨日の記事(『さくらいろ』)に書いたこととも少し関連するのですが

「桜は全身で春のピンクに色づいていて、花びらはいわばそれらのピンクが、ほんの先端だけ姿を出したものにすぎなかった。」

人もまた同じで

言葉、声音、しぐさ

・・・それも、ほんのちょっとした部分、ちらっと覗く欠片の一つに、

その人のすべてが、こっそりとひそんでいるのかもしれません。


桜は桜であることが、桜の愛であるような気がするのです。

良寛さんが、修行で身につけたあらゆることを、そぎ落として、そぎ落として、

ついにその口から、思いやりしか出てこなくなっていったように

『愛』は、やはり、獲得するものではないのでしょうね。

 

2014/1/31


寒山拾得と豊干の詩

「寒山拾得」という、森鴎外の有名な(らしい)作品があるそうですが

私は、(それは)読んだことがありませんので、鴎外の作品とは少し違うかもしれませんが

私が聞いた「寒山拾得」のお話を少しばかりしてみたいと思います。


昔、中国に閭丘胤(リョキュウイン)という役人がいて、台州に赴任することになった。

閭丘胤は頭痛持ちで、ひどい頭痛でたまらなかった時、

豊干禅師という台州から来た偉いお坊さんがやってきて、

閭丘胤の頭痛をたちどころに治してしまった。

その時豊干禅師の言ったことは、次のようだった。

「人の体は四元素(地水火風)を住みかとし、元々『空』である。

病は、実体のないものから生ずる。清浄な水を持ってきなさい。」


閭丘胤は、豊干禅師に感服して、こう尋ねた。

「私はこれから台州に赴任しますが、

あちらには、あなたのような師と仰げる立派な方が他にもいらっしゃるでしょうか?」

それに対して、豊干はこう答えた。

「いるにはいるが・・・見抜けまい。姿かたちからは、全くわからないだろう。

そのもの達の名前は『寒山』と『拾得』という。」


そんなわけで、台州に赴いた閭丘胤は、豊干禅師がいるはずの国清寺に行き、

さっそく寒山と拾得を探した。

ところが、豊干禅師は留守で、虎の足跡があるばかり。

そして、どんな偉い人かと思っていた拾得は、寺の賄い係・・つまり食事を作る人。

寒山は、そこへ遊びに来る乞食のような風貌の気狂いのように見える。

二人とも、子供たちと遊んだり、人に逆らってみたり、従ってみたり、

ともかく、心のなすがままに生きているような、

『立派な師』のようには、とてもとても見えなかった。

しかし、閭丘胤は、その二人が『立派な師』と仰げる人だと、豊干から聞いていたため、

二人に向かってうやうやしく挨拶した。

すると二人は、閭丘胤に対し

「賊、賊(曲者、曲者)!」と叫び、

「豊干がしゃべったんだな。

阿弥陀様さえわからなかったくせに、私たちに拝礼をして何になる!」

と言って、どこかへ逃げてしまった。


閭丘胤は、二人に逃げられたものの、素晴らしい方たちに違いないと思い、

二人が木や壁に書きつけていたというたくさんの詩を集め、そこに豊干の詩も含めて

後に『寒山詩』として漢詩集を編纂した。


そういうお話です。

どうやら、寒山は文殊菩薩の化身で、

拾得は普賢菩薩の化身ということらしいです。

また、豊干も阿弥陀(釈迦という説も)如来の化身だったというような話です。


何が言いたいのか、結構不明な点の多いお話ですが

なんとなく心に残っています。


『寒山詩』の中から、豊干の詩を一つ、ご紹介します。


本来一物無く

亦(マ)た払ふべき塵(チリ)無し

若(モ)し、能(ヨ)く此れに了達せば

坐して兀兀(コツコツ)たるを用ゐず


 (意味)

 人間は、本来、持っているものなど何一つなく

 また、ふり払わねばならない塵もない

 もし、このことをはっきりと認識するにいたることができたなら

 こつこつと、座禅など組む必要はない


意味は、私がテキトーに訳したので、違っていたらすみません。

また、お話の内容も、豊干の詩についても、

私の記憶を頼りに書いていますので、間違っている可能性があります。

興味をもたれた方は、どうぞ確かなところでお調べください。

このまま引用などなさらないよう、お願いいたします。

どうも、不確かなままですみません。

m(_ _ )m

2014/1/27


「この村が日本で一番」

国語の教科書に、内山節さんの『この村が日本で一番』という文章が載っていた。

その中の一節に、群馬県の山村、上野村に暮らすおばあさんの、次のような言葉が紹介されていた。

「この村から一度も出たことのない私が言うんだから、間違いない。この村が日本で一番よい所だ。」

著者の内山さんは、このおばあさんの言葉に感服したと言う。


一見、矛盾にも聞こえる上の言葉は、相対的な価値観・・・

つまり比較、序列を、この社会で受け入れられている大きな価値観の一つとして

長い間それに順応もしつつ、また抵抗もしてきた私などには、

「一度も出たことがないのに、一番と言える」

このことの不思議さに、意をつかれる思いがしたものだ。


「一番」とは、何かと比べて、その中で最も秀でたものという意味があるが

実は、それだけではなかったのだと。


たとえば、赤ん坊にとって「一番の母親」は、やはりその赤ん坊の母であろうし(例外があるとしても、ここではその例外があること自体は問題ではない)

比べられないもの、序列をつけられないもの・・

もっと言えば「かけがえのないもの」に対して「一番」という使い方を

日本語では普通にするのだった。


似たような言葉に「最高」や「特別」があるが、

「サイコー」と言うとき、それは「~の中で最も~」という意味で使うより

「すごくイイ!」という意味で使われることの方が、今では一般的だ。


また、「特別」も、「一番」と同じように、

他のものと比べることを前提に置き、その中で「特別」という場合と、

他のものは関係なく「特別」という場合では

全く意味合いが異なってくる。

「あなたは、特別な人間なんだよ。」

などと言われたときに、

「他の人とは違う選ばれし人間」のように捉えるのと

「みんなが、それぞれ特別な存在である」と捉えるのとでは、

全く違う感情が胸にわいてくる。

前者は、おそらく(鼻持ちならない)優越感を喚起し、

後者は、自分で自分を認め、それをまた、他人も認めてくれて、さらに自分も他人を認めていける・・・そのような循環が生まれる気がする。


かつてのヒット曲『世界に一つだけの花』と同じことを言っているのだけれど

あらためて、私の中に無自覚に(ココ重要!)、こびりつくように植えつけられた価値観を、

抵抗ではなく、見えたところから一つずつ

優しい雨を降らすように、洗い流していきたい。

2014/1/26