君の家まで

百日紅(サルスベリ)

六十日が過ぎると

風の便りも とだえて・・・

「いつか どこかで」

は、もう果たし終えた約束なのか

 

あと百日ほどで

サルスベリの花が咲く

 

今は まだ 

つるつるとすべる幹に 手をあてて 

花咲く準備の かすかな木の声に 耳をそばだてる 

 

本当は、私のほうこそ、聞いてほしいのだ

私の指が、あなたの幹を 傷つけはしなかったかと

それが気になって・・・

 

私は すっかり忘れていたのだ

自分が何かに触れるとき

その何かもまた 私に触れているのだということを

 

あんなに待ち遠しかった春の中に

私は いて

今度は 夏を 待ち遠しく思う

サルスベリの花が 咲く夏のころを

いったん咲いたら 百日は咲き続けるという

百日紅(サルスベリ)の花を 見たくて

2014/4/19


極 意

千利休が、弟子の一人に茶の湯の極意を聞かれたところ

こう こたえたという

 

茶は服のよきように点て(熱からずぬるからず、飲みよいように) 

炭は湯の沸くように置き(湯が沸く程度に置き)

冬は暖かく、夏は涼しく(冬ならいかにも暖かく、夏ならいかにも涼しげに)

花は野にあるように入れ

刻限は早めに

雨降らずとも雨具の用意

相客に心せよ(来客の気持ちを慮れ)

 

たずねた弟子は憤慨したのか

「そんな当たり前のことを聞いたのではありません

わたしは、お茶の極意を尋ねたのです」と・・・

 

利休の返答は、簡単だった

「あなたにそれができるなら

わたしが あなたの弟子になりましょう」

 

一番になりたかったり

名を轟かせたかったり

褒められたかったり

感心されたかったり・・・

強さを誇示したかったり

そんな「私」「私」「私」の世界の住人には

「歓ばれる」ことのよろこびが、おそらく わからないのだ

いや、わからないは言い過ぎか

多分、二の次になるのだ

 

だから

相手に「よろこばれる」ことと

相手を「よろこばせる」ことの違いが、よく見えない

「よろこばせる」には、

どこか 偽善の匂いがただよってしまうのは そのためか

 

だけど

わたしとあなたが

実は同じものの違う現われにしか 見えなくなっているとき

「よろこばせる」は消えて

「よろこばれる」一色が連鎖的につながって

果てしなくつながっていくんじゃないか

 

「どうも、ありがとう」

「ありがとうと言ってくれて、ありがとう」

「ありがとうと言ってくれてありがとう、と言ってくれてありがとう」

「ありがとうと言ってくれてありがとうと言ってくれて、ありがとう」

・・・・

 

茶の湯の極意は

作法を越えたところにある、当たり前が難しいが

感謝の極意は

よろこばれるよろこびを知ることか

 

茶の湯も、感謝も

極意は、常に実践の中にあるだろう

実践?・・・もちろん

それは、人やモノとの関わりの中でしか生まれない

2014/4/19


も の

「モノがあふれている」

と、よく言われるが

とんでもない

よく見てごらん

あふれているのは、モノではなく

タマシイを失った、なんだかよくわからないもの

得体のしれない情報だ

モノと呼べるものは、必ずその背後にタマシイを伴っている

 

モノづくりの男たちは、「もののふ」の心を引き継いでいる

モノづくりの女たちも、眠ってなんかいやしない

その証拠に、毎日食べても飽きないご飯を、つくり続けることができる

社会の表舞台では

誰が勝っただの、どこが優れているだのと

騒がしいこと、この上ないが

決して揺るがない土台を、モノづくりの男たちと女たちがしっかり支えている

だから、この国は大丈夫

まだまだ捨てたもんじゃない

2014/4/20


におい

数日前から

夜おそくに 外に出ると

微かだけれど とってもいい匂いがする

 

たぶん、近くで

私の知らない花たちが 開いたんだ

 

人の活動が薄くなる 深夜は

植物たちの匂いが はっきりと際立つ

 

もう少しで

蜜柑の花も 咲く

くらくらするほどの 蜜柑の花の香り・・・

 

 

五月待つ 花橘の香をかげば 

昔の人の 袖の香ぞする       

      ・・・・・・古今和歌集 詠み人しらず

2014/4/26


「 雨は蕭々と降っている」

今朝は、ほんの少し雨が降って

日中はずっと 雲が空を覆っていた

つい今しがた降りだした雨は

とうとう本降りとなり

屋根も庭も すっかり濡れて

軒を打つ雨音が 優しく響いている

 

三好達治さんの『大阿蘇』という詩の

「雨は蕭々と降っている」が

口をついて出てきた

 

ただ「在る」ものたちの

絵が、歌が、匂いが・・・

そこには 在る

喜怒哀楽に翻弄される人間たちに 気づきもしないのか

それとも

一喜一憂、右往左往することが

ただ「在る」ものたちからは そもそも「無い」ことなのか

それは わからないが

今日のような雨の日は

なぜだか この詩の情景が 私の前に立ち現れる

 

 

大阿蘇                 三好達治  

 

雨の中に馬がたっている

一頭二頭仔馬をまじえた馬の群が 雨の中にたっている

雨は蕭々(しょうしょう)と降っている

馬は草を食べている

尻尾も背中も鬣(たてがみ)も ぐっしょり濡れそぼって

彼らは草をたべている

あるものはまた草もたべずに きょとんとしてうなじを垂れてたっている

雨は蕭々と降っている

山は煙をあげている

中獄の頂から うすら黄ろい 重っ苦しい噴煙が濛々(もうもう)とあがっている

空いちめんの雨雲と

やがてそれはけじめもなしにつづいている

馬は草を食べている

草千里浜のとある丘の

雨にあらわれた青草を 彼らはいっしんにたべている

たべている

彼らはそこにみんな静かにたっている

ぐっしょりと雨に濡れて いつまでもひとつところに 彼らは静かに集まっている

もしも百年が この一瞬の間にたったとしても何の不思議もないだろう

雨が降っている 雨が降っている

雨は蕭々と降っている

2014/4/28


うんがいい

いつもの海岸通りで

運よく 信号待ち

ふふふ

 

なぜってね

ちょうど、海が真下に見えるところで

波の音が ザザザーって

聞こえたの

 

うれしくて

いつまでも聞いていたいと思った

 

長い赤信号

運がいい

2014/4/30


八十八夜

立春から数えて 

今日は 八十八夜

 

この日に摘んだお茶は とびきり美味しいのだろうね

 

あなたの作った手料理みたいに

魔法の味がするのだろうね

2014/5/2


そっと

きょうも、すてきな一日で

出会った人は みんな笑顔をかえしてくれて

元気いっぱいの 

「おはよー!」や「こんにちはっ!」

が 聞こえて

なんて しあわせな一日・・・

 

それに、いつもの帰り道

それはそれは すてきな海が

キラキラ波を きらめかせていて・・・

 

なのに、ふっと

夜になって

小さな呪が 私の頭のスミッコに忍び寄ってきた

 

だけど

私の深いところの約束が

そっと その呪をはらってくれた

しずかに そうっと 

私の頭が気付かないぐらい すみやかに

そっと

2014/5/2


遠い約束

はるか昔に かわした約束があり

私は そのことを 忘れてはいなかった

 

だけど

した覚えのない 契約の力が

あまりに強くて

縛った鎖をほどくのに 夢中になっているうち

私は すっかり 

本当の約束が どんな約束だったのかを

思い出せなくなってしまった

 

もがけばもがくほど 食い込む鎖の痛みは

溺れる者が 藁をもつかむのに似て

偶像をつかみ、幻想をリアルに作りかえていった

 

それでも、私は遠い約束があったことを

忘れることはできなかった

いつだって

どんなときだって

私は その約束とともにあった

だから

かすかな匂いや 音や 色が

約束の地に私を導いているのだと 

心の奥深くでは 知っていた

 

言葉には

表と裏があり

分離を前提とした 象徴としての側面と

この分離の世界で、真実を現すための 比喩としての側面

それは、表と裏と言ってもいいが

表面と内側と言ってもいい

 

ひとつひとつ ぶつかるたびに

私は 言葉を裏返していく

ちょうど 洗ったクツシタを 裏返して日に干すように

言葉を ひっくり返していく

 

そうして、私は

私という光で

言葉の内側を 照らす

光の歌を うたうために

 

遠い約束を 思い出したから

思い出した瞬間に 

遠いと思っていた距離が消えたから

2014/5/3


鏡の夢

目の前に 立っている人の

ネクタイが ゆがんでいたから

 

「あら、ネクタイがゆがんでいるわよ」

と、手を伸ばしてみたら

それは、のっぺりとした鏡だった

 

「なあんだ、鏡に映った私のネクタイが ゆがんでたのね」

 

今度は

鏡を見ながら 自分のネクタイを正そうとしたが

気に入るような結び方が なかなかできなくて

なんだか もどかしい

何度も結びなおし、鏡で確かめ・・・

でも、やっぱり うまく結べない

 

そこで 目が覚めた

私は ネクタイなんてつけていなかった

2014/5/3


ものがたり

「ものがたり」は 小説とはちがう

小説と呼ばれるもののなかに

「ものがたり」もあれば、そうでないものもある

 

君が

光の糸を手にしたとき

今の世に生まれてから これまでの

君が見て、聞いて、感じてきた世界が

経験の重なりとして 宝石のように輝き始める

 

すると

君の誕生の

ずっとはるか向こうから

連綿とつらなり 保持し続けている すべての記憶が蘇る

君が その輝きを 

宝石のように たいせつに眺めはじめたら

記憶の一つひとつは 光の糸で ひとすじに貫かれ

「もの」が 語りだす

それが 「ものがたり」

 

「もの」が 語るのでなければ

「ものがたり」とは 呼べない

 

私は、君の「ものがたり」が 好きだ

2014/5/5 


まわりみち

遠まわりをしたからって それが何だというのだろう

おかげで 

春風にのって飛んでいく たんぽぽの綿毛に出会えたし

小鳥のなきがらを そっと手に包んで 土に葬ってやることも

できたじゃないか

 

来る道には

枝分かれの 三叉路や十字路が 

たくさんあったように 見えたけど

ふり返ってごらんよ

来た道は まっすぐ 一本しか見えないはずだ

 

まぎれもなく 道は ひとつだったと

胸をはって 言おうじゃないか 

 

まわりみちは

まわりが よく見える道かもしれないね

2014/5/5