終 章

 2013-07-02 11:27:28

 

 君は、僕のこんな話の全てを、今信じようとしなくてもいい。ただ確かめていけばいいんだ。分かる時には分かる。分かったような分からないようなっていうのは、分かってないんだよ。本当に分かった時は、笑みがこぼれたり、涙があふれたりする。分かるというのは、感情をも動かすのさ。理屈を理解しただけじゃ、心は動かない。

 君は今、千年後という、まだ起きていない未来の出来事の記憶を思い出しているところだ。僕の存在だけは、もう信じられるだろう。そして懐かしく感じているだろう。

 千年後、と言ってもピッタリ千年というわけじゃないが、君が蔓(つる)の刈り取りを終える頃、あの合言葉に反応して君の前に現れる者がいる。それが藤の娘の千年後の姿だ。彼女にとって君は、恐ろしい形相の鬼か悪魔のように見えることだろう。だけどね、それは君が彼女の鏡になっているだけなんだ。役割の交代みたいなもんかな。今の君にとって、彼女は藤の蔓(つる)に見えるだろう。それも、彼女が君の鏡となってくれて、君の中の蔓(つる)を映し出しているだけなのさ。恨む筋合いも、恨まれる筋合いもない。なぜって、彼女はかつての君であり、君は未来の彼女なんだから。彼女だけじゃないよ。君の前に現れる全ての人に同じことが言えるのさ。過去と未来は、ねじれた円環でつながっている。

 千年後の君にはもう分かっているはずだ。彼女が映し出してくれるところに、君の蔓(つる)の根っこ、影の君の本体がある。そいつを切り離すんだよ。いいかい?目の前にいる彼女ではなく、君の心の中にある、君自身の影の本体を切り離すんだ。そして、永遠の別れを告げる。

 そうすれば君は、もう一人の自分をはっきりと自覚できるようになるだろう。もう一人の自分の目で、その世界を見るんだよ。きっとそこには、懐かしい顔ぶれが揃っているはずだ。かつて、日が暮れるまで遊んだ幼なじみや、夜通し語り明かした朋友や、笑い合い、励まし合った仲間たちの姿が、君の世界に満ち溢れる。

 どうだい?楽しみになってきたかい?

 

 さて、そろそろ仕上げといくか。君は、あの三つの合言葉を自分で埋め込まなくちゃいけない。この歴史の中に、千年後の君が見つけられるようにね。

 万葉の昔、有間皇子が、自分にかけられた封印を解くために行なったのと同じ方法だ・・・と言えば、もう分かるかな?歌を詠んで木に結ぶ・・・そうだよ。

《磐代の 浜松が枝を引き結び 真幸くあらば また還り見む》

 有間皇子がそうしたように、君はあの梅の木に、君の思いを、千年の後まで繋ぐ言葉で歌に詠み、枝に結ぶんだ。帝にイヤミを言ってると人には思われるかもしれない。だけど、そんなの気にすることはない。誰にもその真意が伝わらなくたって、必ずいつか、君自身がその真意を読み取る日が来るんだから。

 さあ、筆を執るんだよ。もうすぐ梅の木が完全に掘り起こされる。・・・大丈夫さ。僕はいつでも君の内部にいる。

 千年後に、また会おう。

 

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 不思議な少年、鶯(ウグイス)の精は、風が吹き抜けるように姿を消した。部屋の空気が、急に心なしか重く感じられ、現実味を色濃くし始めている。

 娘は筆を手にした。

《勅なれば いともかしこし うぐいすの 宿はと問はば いかが答へむ》

娘は、それだけ書くと、手紙を丁寧に折り、今まさに抜き取られ、運び出されようとしている梅の木に向かって駆け出した。

「あの、もし。」

何事かと振り向いた男・・・帝の使いの男であったが、娘が深々と頭を下げて手紙を差し出しているのを見た。

「あの、これを、この手紙を梅の木に結んで、内裏にお持ちくだされ。」

 少々不審に思いながらも、男は娘から手紙を受け取り、枝に結んだ。この男が、後に『大鏡』の中に、この時のエピソードを記すことになる夏山繁樹であった。 

 帝は、想像以上の梅の木を手に入れたことで、たいそう喜び、繁樹に衣などの褒美を授けたが、なんとも言い難い心残りがあったと言う。それは、梅の木の枝に結ばれていた手紙の事であった。

 気になった帝は、その梅の木を愛でていたという娘の素性を調べさせたところ、紀貫之の娘であることがわかった・・・という話である。