何歳(いくつ)の時だったでしょうか・・・。とにかく、スミレがまだ午後の時間を学校ではなく、家で母と過ごしていた頃のことです。スミレの家には、『ミーミ』という名の白い猫がいました。ずいぶん大きな猫でした。
まだ幼かったスミレは、ミーミをあやすのが下手でした。抱きかかえようとしても、ミーミはスミレの小さな腕の中で大暴れをしたものです。でも、ミーミの方は、なぐさめ上手の聞き上手。スミレが泣いているときは、ペロペロと頬の涙をやさしくなめてやるし、スミレがオモチャに夢中になっているときは、邪魔にならないように、少し離れたところで優雅に毛づくろいをしていたものです。
ある日、何の前ぶれもなくミーミは家を出ました。何日たっても帰ってきませんでした。スミレは泣きました。でも、頬の涙をなめてくれるミーミはいません。あっちこっち、近所を探しにも行きました。けれど見つかるはずもありません。
身の周りの者が突然いなくなる・・・。スミレには初めての経験でした。
ミーミはメス猫で、妊娠に気が付いたスミレの父が、仔猫の生まれるのを面倒がって、遠いところまでミーミを捨てにいったのだということを聞かされたのは、もうスミレがかなり大きくなってからのことでした。
中学二年の、秋も深まるある日曜の午後、半年前に家を出た母がやってきました。正式の離婚をするためです。
父と話している母の顔を見ないように、するりと横を通り過ぎ、スミレは外に出ました。スミレの名を呼ぶ母の声が聞こえましたが、スミレは返事をしませんでした。
(さあて、どこへ行こうか・・・)
スミレは元気よく自転車に乗り、友達の家に向かいました。でも、友だちは不在でした。もう三軒、思いつく友人の家を回ってみましたが、みんな留守でした。
(誰もいないなんて、こんなこともあるんだなあ・・・)
スミレは、ぼんやりと小学校の校庭に自転車を止めました。
不思議に、寂しい気持ちはありませんでした。いいえ、それどころか、スミレの心の中には、感情というものが何一つ見当たらなかったのです。
スミレは、ウサギの小屋の前に腰をおろしました。白いウサギが、身動きひとつせずスミレの方を見ていました。スミレはその時、感情の消えた心の中で、ウサギに問いかけていたのです。
「ウチのミーミ、知りませんか?白くて、大きくて、とってもかしこい猫だったんです。」
なぜその時、不意にミーミのことを思い出したのか、スミレにもわかりません。ただ、ミーミのことばかりが、スミレの頭の中で揺れていたのです。
その時、スミレの目に見えていたものは、すぐ前でうずくまっている白いウサギと、小屋の上に広がる青い空。そういえば、スミレがその日、感じることができたのは、淡い晩秋の午後の日射しと、少し冷たい風だけでした。
そして、スミレはやっぱりウサギに問いかけ続けていたのです。
「ウチのミーミ、知りませんか?」
2014/10/26