裏庭から森へ

moon shell

早朝の ほの白い空を見上げたら

月の雫が 落ちてきたよ


森の木の 高い枝に

一度 ひっかかってから

やわらかい地面に ゆっくり 渦を巻きながら 落ちたよ


月の雫は 貝殻みたいに 

まるまって 光っていたよ 

2014/11/22


本当に 知っていること と

本当は 知らないこと が

ごっちゃになって 一つの箱の中で シャッフルされて

まぜくちゃになった 


自分もまた

その箱の中の 一つの現象だと 

知らず知らずに思い込んでしまえば

箱の内部で 右往左往するしかない



昨日は、飛鳥の社の裏山に 登った

ザック ザッ、ザック ザッ

柔らかい土の感触が、落ち葉や枯れ枝の上からも はっきりと伝わる


紅い夕日が 一すじ差し込むあたりを 目指して登った


高くそびえる木々の間で 一息つく

鳥の声が キーッ、チチ、ギー、チッチ、チュチュチュッ、ピュピュッピュッピュ

あちらからも こちらからも 

絶え間なく 響いてくる

ときおり、ガサガサッと 羽が葉っぱを揺らす音


意味のないおしゃべりを 大事なことと考えるのは

人間だけなのかもしれない


杜は、静かに、意味以前の音にあふれている



2015/01/25


不知火

しらぬひの 実は たわわに生りて


枝を 喜ばしむ


この実をば 君ならずして たれにか ささげむ


2015/02/22

 


雨宿り

「したい」私の陰に隠れて

「したがる」私の顔が ちらちら


「したい」私は あわてて 手を止め、立ち止まる


何もないはずの場所に

あたかも 何かがあるかのように 

宙に浮いているのは 言葉の亡霊

言葉としてのカラダを 持てなかった

音たちが

五線譜から したたり落ちる音符のように

私の庭にも

雨が 降り始めた


夏の終わりも近い 夕暮れ時の 雨は 静かだ


胡瓜の

黄色い花が その大きな葉の下で 

雨宿りしている


2015/08/18


推敲

私と一緒に 草むしりをしていた男性が 

こう言った

「何も考えず、無心に草をむしるのがよいか

 それとも

 草をむしりながら、何か有益なことでも考えるのがよいか

 どちらがよいのか、迷いながら草をむしっている」

 

そのとき、私の頭に

すかさず「推敲」の二文字が浮かんだ

「僧は推す 月下の門」と

「僧は敲く 月下の門」と・・・


草むしりが終わって、その男性は こう言った

「結局、無意味に時間を費やしてしまった

 迷っているのは 何も考えていないのと同じ

 どうせ何も考えないなら、いっそ無心の方が有益だった」


「推す」と「敲く」・・・ 

はたして、どちらがよいかと迷った 唐の詩人賈島(カトウ)が

もしも、その迷ったことそのものを 詩にしたならば

「推敲」という言葉は生まれなかっただろう


2015/08/19


サ変動詞「す」

サ変動詞「す」は

どんな名詞の足にもなって

多くの、外来の言葉を 動詞化してきた

 

古くは、漢語の名詞を動詞化して、すっかり日本語として歩かせたし

今では、英語を始めとする 数々のヨーロッパの言語を動詞化し

どこの国の言語でも、それが名詞でありさえすれば

そこに足をつけるのは お手のもの

 

サ行四段との見分けは 簡単

未だ然らずの形には 「せ」を使う(口語では「し」)

 

サ変動詞は どこから来たのか

どちらが先と言うものでもないだろうが

助動詞「す」の存在が 浮かび上がる

 

元々「使役」の意味を持つ助動詞「す」は

後に「尊敬」の役割をも 受け持つことになったが

 

助動詞「す」も、サ変動詞「す」も

ともに「す」という音の響きを、その奥深くに保ち続けている

 

素足、素肌の「す」

素直の「す」

すべての「す」

 

2015/08/22


鎮守の杜

鎮守の杜で


白い紙を受け取り


何度も何度も くりかえし


紙に記された言葉を 詠みあげた


まるで


祝詞の奏上のように


祈りの歌のように・・・




神主のいない 小さな神社で


わたしは いったいどのようにして


その紙を手にしたのだったか


まるで 覚えていない


気が付いたとき 紙はすでに わたしの手の中にあった


そこには 私の名が 記されていた


名前というものは、他人から呼ばれるためのものではなく


その人自身の 祈りの言葉だったのかと


ふと 諒解した


2015/08/23


守り刀

冥土の旅の お供にと

死者の傍らに 守り刀を置く風習があるが


土の中で すっかり錆びついた その刀は

切れもせず、また活かしもせずに

死者の黄泉還りを 待っている


「死」を切り開き

「わたし」という自己を活かすために

守り刀を携えた 死者たちが 

彼方の世界から やってくる


錆びを落とし

砥石で刀を研ぐ音が

澄ました耳の 奥で 反響している


2015/08/23

研ぐ

包丁を 研ぐ

これは わたしの かたな

 

どうやって 譲り受けたのだったか

覚えていないが

拾ったのではなく

金で買ったのでもないことだけは 確か

 

かすかに 覚えているのは

前の持ち主が、それを研いでいた その後ろ姿

 

どうしてだか

その背中が 私自身に思えてしかたない

振り向いた顔を 私は知らないが

どうせ

顔を見たところで

私は私の顔を知らないのだから、同じこと

 

ただ ひたすら包丁を研ぎ続ければ

その後ろ姿を また次の私が かすかに覚えていてくれるのだろう

 

永遠にループする私の「死」を切り開き

永遠の「生」へと活かす

そんな包丁を 今日も 研ぐ

2015/08/28

確たる意志

朝から 低く垂れこめていた 雲

夕方になって ようやく 小さな雨粒を 落とし始めた

 

飽和がもたらす 変化

変化の直前には 見えないけれど

確たる意志が ある

2015/08/29

鎮魂歌

鎮魂歌を歌うのに

哀れみは 邪魔だ

「個」の幻想を なぐり捨て

ただ、己の口から出る音のすべてを 

己自身に 捧げよう

 

かつて 良寛和尚が

その口から「愛語」しか出てこなかったという逸話は

相対するものを (それが人であれ、物であれ)

良寛和尚が、けして対称と見なさなかったことを 示唆している

 

己の中に 連綿とつながる、ある「魂」の系譜に

今、鎮魂の歌を 歌おう

音無しく沈黙させることが 鎮魂ではない

黙って 耐えさせるために 崇め奉り、なだめすかすことも また

鎮魂からは ほど遠い

 

忘れていた記憶を 鮮やかに甦らせて

これからの旅を、私とともに歩もうと、誘うのだ

2015/08/30

狐の嫁入り

明るかった空が

突然 暗くなり

いきなり 横殴りの雨が 降り乱れた

半刻ばかり ひとしきり 強く降ったあと

雲間に 小さく晴れ間が 開いた

まるで、刃物にえぐりとられた 青い傷跡のようだ

でも、実は 雨はやんではいない

 

傘を差さずに 木陰から飛び出した私は

すっかり ずぶ濡れになりながら

不審な思いで 空を仰いだ

 

太陽は横顔だけを見せている

それでも、充分に 昼間の晴天の明るさだ 

 

雨は どこから降っているのだ?

遠くの山の 尾根伝いに 

狐火の行列

 

ああ、今日は狐の嫁入りであったか、と

そう納得したとき、夜が始まり

空はすっかり 闇に包まれた

 

雨は、まだ降り続いている

雷までが、祝言のために 大声で歌い、光を届けている

2015/09/01

路地裏の黄色い羽

真夏の昼間でさえ その路地裏は薄暗く

小さな家が、肩を寄せ合うように 建ち並んでいた

 

家々をむすぶ土の路地は、道と呼ぶにはあまりに狭く、細く、短い

 

雨が降れば ぬかるむ そのたわいからたわいへと

子ども達は、惜しげもなく 四肢をいっぱいに広げ

衣の汚れるのも気にかけず、日の暮れるまで遊んだものだ

 

言葉遊びに歌遊び、鬼ごっこにかくれんぼ・・・

そこいらに落ちている 瓦のカケラや石ころで

地面に線を引いたり、字も書けば、絵も描いて

日がな一日 遊んでいられたのは 

狭いはずの空間が 無限の広さを子ども達に提供していたからだった

 

道具不要の遊びなら、毎日飽きずに遊べることを、そこの子どもは知っていた

 

たった一度だけ

私はその路地裏で、不思議なものを見たことがある

黄色い羽根が 一枚

ふわふわ ゆらゆら 揺れながら 舞い降りてきたのだ

土塀も屋根も、足元の土も、モノトーンにしか見えないような

茶色と灰色だけの くすんだ景色の中にただ一つ

すべての色を吸収し、黄色だけを反射しようとする 強い意志を現すかのように

純粋な黄色に 光る 羽根

見上げた空には 鳥が羽ばたいた痕跡はない

無音の中で、時さえ止まったように見える その風景の中で

黄色い羽根だけが ゆらゆら ふわりふわり

 

   黄金の宝は、どこかの山に埋まっているわけじゃない

   ほら、君の目の前に

   時を止めることができたなら、いつだって こうやって舞い降りてくる

   掘り当てなくてもいいし、宝の地図さえ必要ない

   幸せとは、こんなふうに かるく やわらかく 舞い降りるものなのさ

 

黄色の羽根を 私の前にもたらしたのが 何ものだったのか

今でも わからないままだが

そんなふうなメッセージを 受け取った気がしている

2015/09/01

見えない土に還る

早朝、洗濯物を干そうと 庭に出た 私は

一羽の メジロを 足もとで見つけた

 

すでに動かなくなっていた 小鳥のムクロを

両手でそっと拾い上げ、手の中に包み、目を閉じた

 

どのような経緯で、この小鳥は、私の庭で息を引き取ることになったのだろう

 

軽い、軽い小鳥のムクロ

ぬくもりも、重さも消えた 小鳥のカラダ

 

私は、庭の一角に スコップで穴を掘り

そこに 小鳥を埋めて 土をかぶせた

 

そのとき、私は 「墓」の意味を 知った気がした

ああ、この小鳥は、今、「種」となったのだ

遺体を土に埋めるという行為は、「種」を植えることと同じなのだと

 

死んだら 肉体は 土に還るという

それなら、魂も 見えない土に 還るのではないか

 

肉体が 微生物に分解され、やがて土へと還元されるように

魂もまた 見えない微生物に分解され

見えない土へと 還元されるに違いない

そして、時期が来れば 必ず芽を出し、新たな命へとつないでいく

 

「肉体だけを乗り換える」イメージの輪廻転生は

どこか 自我の執着の匂いがする

根源の記憶を持ち続ける魂(霊)との接続は

還元されきった肉体と 還元されきった魂が

一粒の、小さな小さな光の素の、その表と裏の関係を持って 一つになったとき

成就するのではないか・・・

そんな気がした

 

前世記憶というものを 否定はしない

私自身、それらしきものを持っている

しかし、根源的記憶と前世記憶は、どうにも 直接結びつくには無理がある

なぜなら、前世というものがあったとしても

それは、どうあがいても、この時空の物語でしかないからだ

根源的記憶というものは、時空の外に、常に「在る」ものだから

2015/09/02

時を越えた白い猫

深夜に 電話が鳴った

誰だろう  こんな夜中に・・・

私は 暗い廊下に出て 受話器を取ったが

耳には ツー という音がするだけ

 

間違い電話か?

 

いや、「間違い」など、あるはずもない

ここは 夢の中なのだ

 

 

ふと見ると、電話の横に お菓子の箱がある

進物用の ビスケットでも入っているのか?

 

箱の蓋を 開けてみた

中に入っていたのは、まあるく丸まった白い猫

 

四角い箱に ピッタリ内接して、まるで大きな巻貝のよう

白い猫は、息を止めて 心臓の鼓動も止めて

体の内部で 時を 止めているんだ

 

あの時、私の腕の中で 息を引き取った わが相棒、わが親友

いつも食事に使っていた 小さな御椀と一緒に

海辺の松の木の下に この手で 埋めた

 

あなただったの・・・

 

電話は、遠くから「声」を届ける機械だと思っていたが

時を越えることも できるのか

「声」というのは、単に音声ではなかったのだ

「声」は 時を「越え」て、姿を現しもする

 

熱い思いが 胸を突き上げてきた

 

死者は死んでなどいない

「死」の意味を 越えさえすれば

2015/09/09

星の砂

星の砂は

有孔虫たちの 生きた痕

知らなければ

誰も それを「生き物」だとは思わない

 

でも、でも

「生き物」って、何だ?

知っている気になってるだけで

本当は よく知らないものだから

 

まさか、これが生命なのか

これも生命なのか・・・と

生命で 満ちている空間に

驚く日が きっと来るだろう

近いうちに・・・

 

星の砂は、ほんの小さなヒント

2015/09/11

森の夢

今夜は ひとり 庭に出て
心の森の 小川のせせらぎに 足を浸し
森の息遣いを 聴こう

鼓動は 木々の外部で脈打ち
呼吸は 風となり
血流は 清く流れる

私の生は 森の夢

 

2015/09/17

 

月のしずく

とくべつ 大きな お月さま

とくべつ おいしい しずくが 落ちる

 

森のまつりは 静かな祭り

月のお酒で ほろほろ ほろほろ

鳥も 獣も 虫たちも 

木々も 草も ほろよい ほろよい

 

土が 受ける 

月のしずくを

しっとり ひんやり 夜を うるおす

2015/09/28

月と仔猫

きさら きさら きさら

雲の上から 

透き通った 月の声が 降りてくる

 

あなあん あなあん

僕は ここ

と、仔猫が 夜空を仰ぐ

 

仔猫にとって

雲のさえぎりは たいした障壁ではない

光が 弱められたとて

きよらかな 月の声は 

三角の耳に しっかりと とらえられるから

 

きさら きさら きさら

あなあん あなあん あなあん

 

天上と地上とで 交わされる

月と仔猫の 会話

2015/09/30

必要とされる

誰しも、感謝されると嬉しいものだ

誰かの役に立てることは 誇らしいものだ

 

しかし

そういう気持ちを うまく利用し 捻じ曲げて

「必要とされる人間に価値がある」・・・みたいな

そんなふうに育ってしまうと

本当に 本当に

哀しいほどに 自分を損ない、失っていく

 

必要とされて 喜んではいけない

必要とされることに 自分の存在意義を求めてはいけない

 

自分が 自由に 伸び伸びと生きて

しっかりと 根を張り 枝を伸ばし 

花を咲かせ 実を成らせ 種を落とし

独り立ちした者同士、助け合いたいものだ

声を掛け合いたいものだ

 

感謝されることは、感謝するのと同じ

どちらが先とも言えない 同時的出来事

相手は私、私は相手

 

そう考えると

「必要とされる」は「必要とする」と同じ

自分を損ない続ける 欠けた者同士、足りない者同士

その欠けた者が自分で、足りない相手もまた自分

 

もう一度 言う

 

必要とされることは この世では 何度でもあるだろう

しかし、必要とされることを求めてはいけない

それを快感と感じるのは どこかが狂っている

自分の存在意義を 外部に委ねるとき

その狂いが生じる

 

狂いを元に戻すハタラキが 私たちの内部にある

全ての人の中心点に それは ある

誰一人、漏らすことなく その中心点で

人は 繋がっている

 

「感謝」も「誇らしさ」も

本物ならば、そこからしか 伝わらない

2015/10/05

女たちよ

女たちよ

その胎内に どんな未来を孕むのか

 

  未来とは 未だやって来たことのない

  全く新しい 宇宙のことだ

  延長線の時間軸上にある 未来のことではなくて

 

女たちよ

その豊穣な土に 宿す命は 

まだ まどろみの中にある

 

  母体が切実に持った希望

  それが

  そのまま 注ぎ込まれるのだから

 

女たちよ

注意深くあれ

かしこくあれ

ほがらかであれ

そして、なにより 寛容であれ

 

  産み落とされた 新たな宇宙が

  あなたを 慕うように

  あなたを 愛してやまないように

2015/10/06

こころ

「心を 何に たとえよう」

映画『ゲド戦記』の中で、テルーは 唄った

 

「こころをばなににたとへん」

萩原朔太郎の詩「こころ」が 形を変えて 

テルーの歌声に なったのかもしれない

 

誰もが 持っている「こころ」と

誰もが 知っている「こころという言葉」の間には

空高く飛ぶ 黒い鳥と

地上に落ちた その影ほどの差が ある

鳥の動きに合わせて 影も羽ばたき 旋回もするが

影に意志は ない

 

「こころという言葉」が あまりに頻繁に使われると

「こころ」が もうとっくに 翔び立っているのに

影だけをそこに ピンで貼り付けにしたようなもので・・・

「こころという言葉」が まるで手垢がついた言葉に

感じられてしまうものだ

 

しかし、しかし、だ

影が

「こころ」に ぴったり寄り添って

「こころ」と共に動くなら

それぞれの内側から 「こころ」に触れることができる

 

手垢は、「こころ」にはつかないし

「こころという言葉」にも つきはしない

「言葉」は「こころ」とともに しなやかに舞い踊るのだから

 

「言葉」についた手垢とは

岩場にはりついた「影の跡形」

そこにとどまり、動きを失った「影の模写」

それは もう「影」でさえない

 

本当の「言葉」は いつでも 「こころ」に寄り添っている

2015/10/09

死に逝く者へ

今 まさに

肉 朽ち果てて 死に逝く者よ

逝く先は 何処なのか

死ぬ者とは いったい誰なのか

 

お前を 「生」と「死」に 分けるものが

お前を 「過去」と「未来」に 分けるのか

 

今 まさに

噴水のように 命の水を 噴きあげて

「過去」と「未来」を 振り分けるように

「生」と「死」を 振り分ける

お前こそが、その「分けるもの」であったのか

2015/10/19

 

命令

命と令

命は、生命

肉体が息をしていることではなく

 

令は、神の意を聞くこと

けして、自分以外の誰かを

自分の思い通りに動かすことではなかった

 

何かが狂って

相手を「対象」とみなし、動かせるものだと思い込んだ

そのとき、命令は、今の「命令」になった

 

「命令」をすればするほど、己を失い、損なっていく

取り返しがつかないほどに

己の中が 空っぽになっていくのだ

対象で埋め尽くされて

 

我こそ 風の音を聴け

うるわしく かぐわしい 夜の吐息の中に

 

君にこそ 幸あれ

すこやかなる 君の空間を 満たして

2015/10/24

 

命の日

赤い実の成る

クロガネモチの木の

左手の 低い丘に 眠る 生きた記憶

 

南の池に さざなみが立ち

空には さざなみを そのまま映したような うろこ雲

 

一匹の 白い猫が

植え込みから 飛び出して、逃げた

突然の 闖入者は

昼寝の邪魔だったかな

 

カメラを手にしながら

この、足元の 枯葉の音を 収めることはできないものかと

ざっく ざっく 歩いた

 

やわらかい 秋のじゅうたんに

木漏れ日が 差す

 

11月11日

命の日

2015/11/11