その9

2013-07-11 18:28:25

 

 百合子の母、秋江は、春江より二歳年上で、見た目も性格もあまり似てはいなかったが、実に仲の良い姉妹だったという。人に言えない悩みも、互いに相談しあって、助け合い、励まし合ってきた。だから、他の誰も知らない事も、お互いに知っているのだと、伯母は言った。

 

 秋江は、最初の結婚で女の子を出産し、生後4ヶ月の時に事故で亡くしている。同居していた秋江の姑が、秋江の留守中に子守をしていて、死なせてしまったらしい。事故の当事者である姑の他、見た者はいないから、姑の話を信じるしかないのだが、姑が庭で赤ん坊を抱っこしてあやしていた際に、石にけつまずいて姑が転び、赤ん坊を投げ出してしまったという話だった。打ちどころが悪く、赤ん坊はその日の内に死んでしまった。

 秋江の悲しみは、幼い我が子を失くした母親なら当然であるが、深く強く、なかなか癒えるものではなかった。できる限り手厚く供養をしてやりたいと思ったが、夫の母親、姑への気遣いが邪魔をした。あてつけに思われはしないか・・・。「子供ならまた作ればいい」と言った夫にも、ほとほと嫌気がさし、秋江は離婚を決意したのだそうだ。

 その後数年経ってから、秋江は再婚をした。そして生まれたのが百合子である。二度目の結婚生活は順調に見えた。しかし、秋江が体調を崩すようになった頃から、少しずつ坂道を下り始めた。百合子の家の近所に、あの花嫁が嫁いできた辺りからである。

 秋江の心の中にはずっと、幼くして亡くしてしまった娘の事が張り付いていて、自分の体調不良の原因がそこにあるのではないかと考えていた。娘を死なせておいて、自分だけが幸せになることに抵抗がある・・・そんな風な気持ちが秋江をますます病へと誘ったのかもしれない。

 町のはずれに、拝み屋と呼ばれる霊媒師がいた。秋江は、妹の春江に相談して、一緒に拝み屋について行ってもらうことにした。もし、死んだ娘の霊が浮かばれずに何かを訴えているなら、できる限りの供養をしてやりたいと、そう考えたのである。

 

 春江の話によると、拝み屋に降りてきたのは百合子の祖母、秋江と春江の母の霊だったそうだ。座り方、声、口調、どれをとっても生きていた頃の祖母そのものであったとか。あれを見たら拝み屋を信じないわけにはいかない、と春江は言った。

 祖母の霊は、拝み屋の口を借りてこう語ったそうだ。

「死んだ娘の霊が、浮かばれずに泣いておる。供養してくれ、供養してくれと泣いておる。」

 すっかり信じてしまった秋江と春江は、拝み屋の言う通り供養をすることにした。おむすびを八個だか九個だか結び、拝み屋が書いたまじないの護符と一緒に川へ流しにも行った。もちろん、そのことは夫である百合子の父には内緒である。いや、他の誰にも秘密の話であった。百合子が知らないのも無理はないことだったのだ。

 それでも秋江の体調は良くならず、むしろ悪くなっているように見えた。二度三度と拝み屋を訪れる内、拝み屋に支払う料金も高額となり、とうとう夫である百合子の父にばれてしまった。烈火のごとく怒る父と、苦しみを理解してもらえない母との間の軋轢は、ここに始まった。

 

 夫婦喧嘩らしいものを百合子は見たことがないと思っていたが、何となく思い当たることがないでもない。あの、幻の空き地を見た日の夜、怖い洞窟の夢を見た夜のことだ。百合子が夜中に母親の布団に潜り込んだ時、母は泣いてはいなかったか?なんだか様子がおかしいとは思わなかったか?百合子自身が恐怖で震えていたためにちゃんと記憶に残らなかっただけで、確か、チラリとそんな風に感じたような覚えはある。

 その頃から、はっきりと秋江の体調は病への下り坂を転がり始めていたのだ。子宮筋腫、卵巣癌と、まるで、女性であることを厭うかのように、母であることに抗うかのように、『母親になれる女』の証としての子宮と卵巣を摘出することになっていったのだ。そして、命さえ損ない、自分の存在そのものを秋江は否定したのかもしれない。 

続く