私はここにいる

私はここにいる

彼女は、ティーカップにお茶を注いで

細い銀のスプーンで くるくるっとかき混ぜ

私に差し出した

すると

カップの中で

お茶が、キラキラチラチラと

たくさんの光の粒子になって 渦を巻いた

 

まるで銀河のようにキレイ・・・

 

彼女は言った

「人間のあなたには、そうは見えないでしょうけど

これが、あなたよ

ほら、人間の目を離れて、よく見てごらんなさい」

 

これが、私?・・・

 

「そうよ、本当のあなたは、ここにいるの」

2014/1/21


つないだ手と手

下から求める一本の手と

上から差し伸べられた一本の手が

淡い光の中で

一つにつながった

 

まっすぐだけど

直線ではなく

やわらかい腕の曲線が

白く光って

美しかった

2014/1/18

 


饒舌と寡黙のあいだ

饒舌には、饒舌に語らずにいられない

その人なりの理由があり

寡黙には、寡黙にならざるを得ない

その人なりの理由があって

 

その二つのあいだで

行ったり来たりする 私の指

 

『最も鈍い者が』という

詩があるが

行きつ戻りつしていた私の両手が

そこで、はたと止まった

 

どうしようもなく出てきてしまったものと

どうしようもなく出せずにしまっておいたものを

私は 許そう

 

だから、これまで語ったすべての言葉と

かけてあげられなかった 言葉未満の心の断片に

そっと 息をふきかけた

 

まるで、憑き物が落ちたみたいに

軽くなった 私の心

目の前が、鮮やかに、すっきりと見える

体からも 憑き物が落ちたんだ

 

私は、おかしくて おかしくて

一人で 笑った

しあわせは、本当に

「いま、ここ」にあった

 

あたたかい春の朝

私は「しあわせ」の中にいて

私は「しあわせ」をつつんでいた

 

 

 

最も鈍い者が             吉野 弘

 

 言葉の息遣いに最も鈍い者が

詩歌の道を朗らかに怖さ知らずで歩んできたと思う日

 

人を教える難しさに最も鈍い者が

人を教える情熱に取り憑かれるのではあるまいか 

 

人の暗がりに最も鈍い者が

人を救いたいと切望するのではあるまいか

 

それぞれの分野の核心に最も鈍い者が

それぞれの分野で生涯を賭けるのではあるまいか

 

言葉の道に行き昏れた者が

己にかかわりのない人々にまで

言いがかりをつける寒い日

2014/3/25 


つ く 

疲れている時は

憑かれている・・・

 

ツイテるときは

憑いている・・・

 

つくもがみは 九十九神

もののけ

 

コワゴワ受身だと 怖い妖怪

仲良くなれば、ツキを呼ぶ

 

ツキの神様

月夜霊(ツクヨミ)は

わたしの大事なお友達

2014/3/31 


くつはけ わがせ

古来、日本語に「愛」という言葉はなかった

 

では、「愛」という概念、認識もなかったのだろうか?

 

おそらく・・・

なかったのだ

 

少なくとも、特定の異性に対する

「好き」という気持ちは

「おもふ」「こふ」と表現されたし

神の「愛」や仏の「慈悲」に相当するものは

言葉にするまでもなく

「すべて」のことであり

わけへだてのない心の状態、作用のことだったのではないか

 

女性が、大切な男性のことを「背」といったのは

自分の前ではなく

背後に、彼の実在を感じていたからかもしれない

 

西洋人のように、互いの前で抱き合う姿は

日本人には、なんだかそぐわない

 

背中合わせで、

互いの前と後ろを交換し、世界まるごと抱き合わす

つまり

彼と彼女の間には、世界がまるごと包まれているというわけだ

 

万葉集(三三九九)に、こんな歌がある

 

信濃路(しなのぢ)は 今の墾道(はりみち)

刈り株(かりばね)に 足踏ましなむ

沓(くつ)はけ 我が背

 

(信濃路は 出来立ての路だから、切り株を 足で踏むでしょう 

 くつを履いていってください 我が夫よ)

 

「我が背」を、単に「私の夫」と学校で習った時

この歌は、私の頭の横を素通りしていった

 

あえて口語訳を読まず、歌を音だけで何度も詠んでいるうちに

この女性の気持ちが

私の胸から入ってきて、四肢を浸したあと

喉を通り、目がしらを熱くした

 

安売りの「愛」はいらない

奪う「愛」も、捧げる「愛」もいらない

そんなものは「愛」ではないし

そもそも「愛」は、言葉にできるものではなく

言葉にした途端に零れ落ちていく・・・

欠けることを知らない「すべて」なのだろう

2014/4/4 


窓辺の猫

窓辺で猫が 春を見ている

 

南の空高く 昇った月と

少し散り始めた 夜桜を・・・

 

窓辺の猫は 少女の化身

もしも 隣に愛らしい女の子が見えたとしたら

それは、あなたの

幼い日の姿

 

まっすぐに 世界を見ていた頃の

透き通った まなざし

 

不思議で満ち満ちていた

あなたの心は

 

春の中に たくさんのカタチをとって

出現している

 

窓辺の猫は 春を見ている

少女の生を 貫くように

そして、無限に広がった春を

束ねるように

2014/4/10 


dear old my bard

わが麗しの 三行詩人

野をこえ 海をわたって

はるか彼方を 旅する詩人 

いつか 舞いもどる日を 

風見どりの尾が 知らせてくれるだろう

2014/4/10

 


トレモロ・・・風の便り

小高い丘の 上に建つ

小さな家の 屋根にのぼれば

キラキラ光る 穏やかな海が 見える

 

たなびく風の尾にふれて

風見鶏が 目をまん丸にして

パタパタ 心の羽根をふるわせる

ヨロコビのトレモロ

風の速達便

2014/4/11


海岸通り

右手に海を見ながら走る

朝の通勤

 

左手に海を見ながら走る

夕の通勤

 

日の傾きを

頭上に感じて

海岸線をひた走る

一日

 

通い慣れた道だけれど

風景は いつも新しい

2014/4/14


昨夜は

昨夜は、思わぬ用ができ

帰宅が 夜遅くになった

 

おまけに 待ち合わせの場所に

待ち人が 遅れてきたもので

私は 広い駐車場に一人

ぼんやりと 夜空を眺める時間を もてた

 

まあるいお月様と、赤い星・・・

 

なかなかいいじゃないか

春の夜

 

よくあることだけれど、見過ごしがちな 

『なりゆき』というメッセージを

昨夜 受け取った

2014/4/15 


知っている

“知っている”って

 

前にやったことあるけど、今はしてない・・・とか

前にやったから、やり方を知っている・・・とか

前にやったから、やったらどうなるのかを知っている・・・とか

 

そういうの

なんだか、つまんないな

 

そんな“知っている”には、生きてる実感がわいてこない

 

“知りたい”って

もしかしたら

前にやったことがあるのに

忘れてしまっているから、思い出したいってことかな

それとも

いつか必ず知ることになっていることを

心がキャッチしてるのかな

 

どちらも同じことなのかもしれない・・・なんて思う

 

「知る」は、

元々「自分の感覚や思想の範囲に収めてしまう」の意があって

だから、未知だったものを自分の理解の中に含む・・・

そこから、『支配』や『領有』の意味にもなった

天皇が「天の下 知らしめす」わけだ

 

でも、でも

もっと古くは

「知る」は、「しら」「しろ」・・・つまり「白」

ある対象に対して、まっさらな状態になること

こちらの感情や思想を捨てて、相手の側に入り込むこと

 

時代の中で、移り変わってきた「知る」という言葉の

根源に 触れていたい

2014/4/15


ここちよい疲れ

今日は、久しぶりに

ちょっと 仕事がハードだった

 

一瞬一瞬の中に 飛び込むように

動いた

心も 体も・・・

 

帰宅して飲む、熱い一杯の珈琲

心が、ほぐれていくのがわかる

体が、心地よく疲れている

 

今日出会った人たちの 姿や声が

次々と 立ち上がってくる

 

初めて会った人

何度も会っている人

もう会わないかもしれない人・・・

 

充実感の中で、見送る一日

2014/4/16 


地球が丸いわけ

何年前だったか

私は、十代の女の子たちと話をしていた

 

どんなきっかけだったかは 忘れたけれど

「どうして地球は丸いのだろう?」

そんなことで 話は盛り上がっていた

 

現代の科学的観点からの推測や

神様が云々的な話まで

いろんな意見が飛び交った

 

一人の少女が、はっとしたように言った

「わかった!

四角だったら、隅っこができちゃうじゃん

端っこの子がかわいそうじゃん

丸いと、みんなで手をつなげるじゃん」

 

一瞬、シーンとなった後

みんなが笑顔になった

 

いろんな答が 考えられる

どこにも正解はないかもしれないし

どれが正解でも かまわないかもしれない

 

だけど、あの場にいた私たちにとって

それは、ある意味“本当の正解”だった

なぜって

みんなが笑顔になったのだから

 

今、ふと思う

もう一度、彼女たちと話す機会があったなら

今度はこんな質問をしてみたい

「どうして地球は回っているのだろう?」

その問に、彼女たちは どんな答を考えるだろうか?

みんなが笑顔になれる答を

彼女たちなら、考え 導く気がしてならない

2014/4/18