序章

 いずれの帝の世でございましたか、まだ都が京に移る前の事でございます。 藤原の某のお屋敷に、紀伊の国から髪の長い娘が養女として迎えられた事がございました。髪があまりに長く美しかったゆえ、髪長姫と呼ばれておりましたそうな。

 言い伝えによりますと、なんでも、その姫を探し当てるために、藤原殿はずいぶんと訪ね歩いたそうな。

 伝説では、藤原殿のお屋敷の木に、鳥が長い髪の毛をついばんだまま飛んできたと・・・、それで「この髪の娘を探せ」と使令を出し、やっと紀伊国の海辺の小さな村で暮らす髪長姫を見つけたとかいう話になっておりますが、私が伝え聞いております話は少々違っておるのでございます。

 

 女の髪と申しますのは、『血』の事でございましょう。『血すじ』と申せばいくらか分かりよいかと・・・。我が子でなくとも、迎えた養女が帝との間に子をなせば、その子がいずれ次の帝となります時に、藤原殿は帝の祖父として力を行使できますので。

 しかし、そこで問題がございます。養女の血が、どこの誰の血でも良いというわけには参りません。当時の都にはない血、しかも特定の限られた条件の血が欲しかったのでございます。髪長姫とは、古来から永く続く血筋を現していたと申せましょうか。

 

 

 日のもとの旗をご存知でありましょうか。俗に言う日の丸でございますが、あの日の丸の赤は、表には太陽、裏には血、それも女の血の意味がございます。

 これは秘伝でございます。私はこのような秘伝がついぞ嫌いでございまして、いつか時が巡りきたならば、必ず洗いざらい話してしまおうと、千年以上も待ち続けておりました。

 私は紀氏一族の流れを汲む者でございます。支流ゆえ、秘伝と申しましてもさほど多くは存じませんが、また本筋からは曲がってしまった伝えもあるやも知れませんが、多少なりとも語れるものは持っておるつもりでございます。

 髪長姫は、後の藤原一族のあのやり方、娘を帝に嫁がせ、生まれた子を帝に立てて自分は後ろから実権を握るという、あの醜き手法の最初のいしずえとなったのでございます。

 

 そもそも藤原一族には、皇族に嫁ぐだけの血がありませなんだ。それゆえ、最初の一人が肝心でございました。形さえ作ってしまえばこちらのもの・・・と、考えたのでございましょうな。それほど髪長姫の持つ血は、貴重なものであったと申せましょうか。

 藤原殿が血眼になって探し求めたのも無理はございません。姫はお子を産んでから外にも出ず、塞ぎがちであったと世間では言われておりましたが、私が伝え聞く話によりますれば、姫は・・・信じられぬほど酷な扱いをお受けになったということです。

 皇子が産まれるまでに、何度か出産したお子は、女の子ということで死産という扱いにされたとか・・・。

 あるいは、皇子をお産みになられた直後、姫は皇子の顔も見ぬうちに引き離され、乳も与えさせてはもらえなかったとか。

 それも、姫の心の様態が、どうやら普通ではなかったためであるそうな・・・つまりですな、気が触れていたというようなことも聞いております。

 気が狂うほどの生活を強いられた姫の都でのお暮らしは・・・さぞや地獄のごときであったろうということでございます。

 おかわいそうに。

 

続く