うぐいすの宿

1 つながり、まじりあう

2013-08-04 06:44:06

 

 カチリ・・・軽くて乾いた音がして、僕は固唾を飲んだ。ゴクっと音がしたかもしれへん。

 ギィー・・・長いこと開けてへんかったからか、蝶番(チョウツガイ)の軋むような音と同時に、箱から飛び出てきたのは、な、なんと!二匹の蝶々やった。いやぁ、蝶番のあたりで、だいたい予想がついたかな(汗)。

 金色の蝶々と銀色の蝶々が二匹、金粉と銀粉をキラキラ、チラチラ振りまいて、舞を舞うように何度も交差しながら飛び交うねん。もう、僕にはすぐに分かったで。金色の蝶々は磐長姫ちゃんや。そしてもう片方はな、多分妹の木花咲耶姫ちゃんや。ちゃんと出会えたんやな。僕、ちょっと嬉しくて感激やった。

 僕がブルブルブルンって首をふったら、磐長姫ちゃんにもらった鈴がチリンチリンチリンって美しい音で鳴ってな、二匹の蝶々はそれに応えるように金銀の粉を僕らの上に振りまいてくれたんやわ。

 磐長姫ちゃんと木花咲耶姫ちゃんの話は、ずっと前にしたことあるねんけど、覚えてくれてるかな?磐長姫ちゃん、妹の木花咲耶姫ちゃんをちゃんと探し出せて良かったわ~。

 

 そんでな、僕と如月ちゃんがキラキラの粉に包まれたと思ったら、どうなったと思う?

 僕・・・ウグイスになっててんヽ(*'0'*)ツ。アヒョーやろ。

 時は平安。京の都でのお話や。如月ちゃんのお家の庭に梅の木があって、その木の枝にいつも遊びに行って、如月ちゃんに「ホーホケキョ」って話しかけてたんやわ。それが、僕と如月ちゃんの前世かどうかはわかれへん。ただ、僕の意識は完全にウグイスに同調してた事は確かやった。いや、ちょっと待って。少し違うわ。完全にウグイスに同調しつつ、その家の娘にも同調してたんや。わかりにくいかな。

 ここ、すごく説明しにくいところやねん。体験した者でないとわかりにくいと思うわ。僕もこんな体験、初めてやったさかい、どう説明していいのんかわかれへんねんけど、ちょっと頑張ってみるわな。

 

 平安時代、京の都に梅の木を植えたお家があってん。そこの家の娘は、その梅の木をめちゃ大事にしててな、その枝にいつも一羽のウグイスが遊びに来ては、娘と話をしてたんや。如月ちゃんがその娘で、僕がウグイス。でもな、なぜか僕はその娘の気持ちもそのまんま分かるねん。如月ちゃんも同様にウグイスの気持ちがそのまんま分かるねん。この、「そのままわかる」っていうのは、すんごい不思議な感覚やったわ。現実の世界では、僕と如月ちゃんは、お互いに信頼してるし、考えてることもだいたいわかるけど、やっぱり言葉とか表情とかしぐさとか、雰囲気とか、そんなんを察知して自分に置き換えて分かるみたいな感じやけど、この時の経験はそれとは違ったんや。僕は玄さんの意識を持ったままでウグイスを経験し、同時に娘も経験した。如月ちゃんも、如月ちゃんの意識を持ったまま、娘とウグイスを経験したってことやねん。僕と如月ちゃんは、娘とウグイスの意識を通して、互いに互いの意識を交換しあったんや。まだ、わかりにくいと思うけど、話を進めるわな。

 ある日、娘の家に帝(天皇)の使いが来てな、梅の木を掘って抜いていってしもたんや。なんでも、天皇の清涼殿の庭の梅の木が枯れてしもて、代わりの梅を探してるとかって。その娘の家の梅の木は、姿かたちも花の色も素敵やから、天皇も気に入るやろうってな。娘はな、当時の如月ちゃんでもあるんやけど、ものすごくショックでな、和歌を手紙にしたためて、木に結びつけて、「内裏にこれを持って参れ」

って、使いの者に言うたんや。

「勅なれば いともかしこし うぐいすの 宿はと問はば いかが答へむ」

これを帝が見たらどう思うやろうか・・・って。権力には逆えんかったけど、一言もの申す・・・それが平安時代の如月ちゃんの生き方やったんや。

 歌の意味はな、

「勅命(天皇の命令)ですので、まことにおそれ多く、この木をさし上げますが、うぐいすが、昨日までの私の宿はどこへ行ったの?と問えば、何と答えたらよいのでしょう。」

そんな感じの意味やねん。僕はウグイスとして、その時の娘の気持ちを通して如月ちゃんの悲しみが、ものすごうようわかったし、如月ちゃんが、娘としてウグイスの気持ちを通して僕の悲しみを受け取ってくれてることが、ようわかったんや。 

 

 

 幻想から覚めた僕と如月ちゃんは、ぼんやりと互いに顔を見合わせて、それからじっと僕らを見つめてるお爺ちゃんに気が付いた。まだ耳の奥で、かすかに鈴の音がしてる気がしたわ。

 

「うーむ。」

 

おじいちゃんがおもむろに立ち上がって、部屋を出て行ってな、一冊の本を持って戻ってきてん。

 

「ほれ、これを知っておるじゃろ。」

そう言って僕らの前に差し出したのは、表紙に『大鏡』と書かれた古い本やった。

 如月ちゃんはまだぼぅーっとしてるみたいやったけど、手を伸ばしてそれを受け取り、

「はい、知ってます。」

って言うて、パラパラとその本をめくった。

 

「やはりお前さんらは、そういう事じゃったんじゃのう。そこに出てくる、『うぐいすの宿』の話、今、お前さんらが経験した過去の出来事とそっくりじゃのう。ああ、わしも見させてもろうたぞ。夢を見ておるような、映画を見ておるような感じじゃったの。あの娘は貫之の娘じゃ。あのあと、帝が娘の書いた手紙を見て不審に思い、その娘が何者かを探し当てさせたところ、貫之の娘じゃとわかったという事が、その『大鏡』に書かれておるわ。帝はたいそうきまり悪がっておったとのう。」

 

「『遺恨のわざをもしたりけるかな』・・・帝の言葉ですね。『さるは、思ふやうなる木持てまゐりたりとて、きぬかづけられたりしも、からくなりにき』・・・これは繁樹の言葉ですね。」

 

いや、如月ちゃん、古語で言われても、僕にはわかれへんて。さっきの幻想の中ではわかったけどな。

 

「ごめんごめん。帝がな、悔いの残ることをしてしまったって言うたんや。まさか紀貫之の娘の梅の木を取り上げたとは・・・ってな。そんで、その木を見つけてきた夏山繁樹っていう人が、思い通りの木を持ってきたからということで、帝から褒美の着物をいただくねんけど、心苦しかったって、後で言うねん。そういう話が『大鏡』に書かれてある。」

 

「わざわざ、『大鏡』にその話を書き残したのは、一体誰なんじゃろうのう。一応は大宅世継(オオヤケノヨツギ)と夏山繁樹(ナツヤマノシゲキ)という二人の老人の会話ということになっておるがの。」

 

おおやけのよつぎって、そのまんま「公の世継ぎ」やんか・・・。意味深やな。

 

「大宅世継は190歳、夏山繁樹が180歳となってますね。そして、世継が菅原道真の大ファンで、繁樹は紀貫之に従って和泉国に行ったこともある・・・。」

 

「『大鏡』とは、歴史を明らかに映し出す優れた鏡・・・という意味じゃて。同じ時代に書かれた『栄華物語』の、藤原氏の栄華賞賛に終始するのとは対照的じゃ。なかなかに、本当のことを言えぬ時代であったゆえ、誰が書いたかは、言えぬが道理じゃろう。」

 

ふうん、菅原道真も、紀貫之も、時代はちがうけど、都から遠いところへ行かされてるわな。今で言う左遷やな。そういう人側に立った視点で書かれてるということやねんな。そんで、おじいちゃんがさっき言うた、僕らがそういう事やったっていうのは、どゆ意味?

 

 「ああ、それはの、お前さんらが、わしら紀氏一族と深い縁があるという意味じゃ。もちろん、お前さんらがここを訪ね当てたことでも、それは既に分かっておったがの、貫之殿の娘と縁深い・・・とはわからんかったわ。ワッハッハー。」

 

おっ、久々に出たな。お爺ちゃんのワッハッハーヽ(゜▽、゜)ノ

 

「それでは、私の前世が貫之の娘、ということですか?」

 

「いやいや、それは違うと思うぞ。前世というのは、そんな直接的なものではないのじゃ。わしもようはわからんがの、さっき、箱の蓋を開けた時、蝶々が二匹舞い上がったじゃろ。」

 

磐長姫ちゃんと木花咲耶姫ちゃんや。

 

「そうそう。つまりな、この世の裏とあの世の裏がつながったというわけじゃな。」

 

さぱ~り訳がわかりましぇ~ん。(@ ̄Д ̄@;)

 

「わしらは皆、自分は自分じゃと思っておるじゃろ。そしてお前はお前、奴は奴とな。しかしな、表の前を見れば、確かにそれぞれは別の肉体を持ち、離れておるが、裏を通ればつながっておるのじゃ。ただし、裏に出るにはもう一つの裏が必要じゃ。裏の裏じゃな。裏を表にひっくり返すには、裏の裏というルートを通らねばならんということじゃ。わかりやすく言うとじゃな、一枚の紙があるとすれば、その紙の表はどこまでいっても表で、裏はどこまでいっても裏じゃろうが。表と裏をひっくり返すには、もう一つ上の次元が必要になるということじゃ。立体に至らねば平面は裏返すことができぬ。磐長姫と木花咲耶姫が出会えぬ内は、それも仕方のないことじゃったのよ。」

 

ほな、さっきの幻想の中で僕と如月ちゃんが、ウグイスと貫之の娘の意識を通して、僕らの意識を共有できたのは、そういう事やったんか・・・。

 

「ほう、そんな体験を・・・。面白かったじゃろ。」

 

うん、面白いっていうか、不思議やったわ。それに、あの時の梅の木のことは、すんごく悔しかったし悲しかったからな。面白い・・・とはちょっと言えんかも・・・。

 

「そうじゃな。誰もがみな、互いに悲しみも苦しみも共有できたなら、決して人に悪いことはできんのじゃ。」

 

うん、そう思ったわ。そんで、お爺ちゃん、僕らと貫之の娘って、どういう関係なん?

 

「今も言うたように、誰もが裏の裏でつながっておるからの、ある意味、人類みな一つと言えぬことはないのじゃが、その、裏に向かう意識の強さは人によってまちまちじゃ。全く向かわん者もおろう。強く引き合う者もおろう。同じ時代に生きようが、遠く離れた時代に生きようが、裏の裏では、距離は関係ないからの、お前さんらと、貫之の娘とは、強い因縁があるということじゃろうて。好みが似ておったり、性格というよりは嗜好、指向かの。そういう者同士が響き合いやすいのじゃ。決して前世や生まれ変わりなどというものではあるまいのう。」

 

ほな、生まれ変わりってないのん?

 

「さあ、どうじゃろう?わしにはわからんがの。もしあるとすれば、その記憶がある者は、今世と前世をつなぐあの世での記憶もちゃあんと持っておるじゃろうの。前世での記憶だけがブツ切れにあるというのなら、さっきお前さんらが見たような、幻想に過ぎんのじゃなかろうか。」

 

ずいぶんはっきりと見えたけど?

 

「引き込まれる小説や映画があるじゃろう。登場人物の気持ちに同調して、我がごとのように感じるということが。自分にも似たような経験があればなおさらじゃ。ま、そんなようなもんじゃ。本当に生まれ変わりがあるとすればじゃ、前世でも今と同じことをしておるじゃろうて。何度も何度も同じことをな。」

 

ほな、来世のために今良いことしておくとかって、意味ないんやん。来世でも同じように「来世のために」って生きる事になるんやろ。

 

「人生一度きりと同じということじゃな。ワッハッハー。」

 

2 深い縁

2013-08-05 07:37:09

 

 あれ、そう言えば如月ちゃん、あの箱は?

「あ、箱がない。消えてる。」

「あの鍵で開けることのできる全ての扉を開き終えたということかの。」

 

うーん、そうか・・・それにしても、せっかく僕のお腹のあたりで出現させた箱やから、消えてしまうのは何か寂しい気もする・・・。ずっと持っておきたかったな。

 

「玄さんよ、お前さんが出てきて欲しいと思った時は、必ずまた出現するんでないかの。あれは幻なんぞではないのう。あれこそ、本物の現実じゃ。のう、じゃとしたら、この世の方が幻とも言えるじゃろう。この世の表のみを見れば、モノにあふれ、金に振り回され、それを現実と思うて己を忘れる。じゃからと言うて、裏のみを見れば、怪しげな宗教や精神世界などという足元の不確かなものに己を飲み込まれる。真に向き合うべきは、そうじゃな、己の良心じゃろうな。肉体はの、無理をしたり、何か悪いものを食べたりすれば必ず病気になり、体のどこかが痛むじゃろ。正しい位置にもどしてくれと肉体が言うておるのじゃ。心もな、同じじゃて。無理をしたり、我慢し続けておると苦しくなるじゃろ。誰かを傷つけてしまい、胸が痛む時はの、心が早く謝りたいと言うておるのじゃ。その胸の痛みは良心が起こしておる。どんな悪事を働いても胸が痛まんようになったら、人間としておしまいじゃのう。良心を失ったということじゃ。良心こそ、人間の証じゃ。悲しい時、苦しい時、はたまた辛い時は、良心がまだ生きておる証拠じゃ。大怪我をしても痛くなければ肉体が死んでおるのと同じかの。良心は、心の方向にあるが、この世の裏ではない。裏の裏、誰もがつながる世界にあるのう。己の良心に従えば、必ずや相手の良心と手を結べるじゃろう。相手と前で抱き合うのではないのじゃ。相手の良心と己の良心が抱き合うのじゃよ。」

 

 うーん、そうやな。

 ・・・お爺ちゃん、あのな、僕、思ってんけどな、お爺ちゃんはもしかしたら、すんごい辛い思いとかもしてきたんかな・・・。そんで、裏の裏で結びつきたくて、一生懸命相手に良心で向き合おうとして、でも、まだその時期やなくて、もどかしくて、わかってもらわれへんで、辛い時もあったんかな・・・。今はそんなに明るくて、ワッハッハーとか笑てるけど、ほんまは色々あったんちゃうのん?

 

「ワッハッハー!玄さんに一本取られたの。その通りじゃよ。偉そうなこと言うてすまんかったの。わしも、この歳まで、一通りのしんどい目にはおうてきたわ。ほんに、お前さんらが訪ねてきてくれて、ありがたい。よう、こんな辺鄙なところまで足を運んでくれたのう。夜を通してわしの話を聞いてくれて、ありがとう。玄さん、如月さん、わしにとっても嬉しい邂逅じゃった。懐かしい巡り逢いじゃ。」

 

 うん、その懐かしいっていうの、僕わかるわ。初めて出会ったけど、昔から知ってたみたいな、懐かしい感じやろ。僕も、お爺ちゃんと会うて、そんな気がしてたもん。そう言えばな、南ちゃんや有間皇子にもふとそんな感じがしたで。磐長姫ちゃんとルイさんにもな。もしかしたら、僕の良心とみんなの良心とが、裏の裏の世界で触れ合ってたんかもしれんな。

 

「かもしれん・・・ではのうて、確かに触れ合い、結び合っておったんじゃろうて。奥の奥の扉を開くための鍵は、もう必要なかろう。いったん開いた扉は、もう鍵はなくともいつでも開けたい時に開けられるということじゃ。心を良心にフォーカスすれば良いのじゃ。本当の仲間は己の心の奥で待っておるじゃろうて。わしがこうして、ここでお前さんらを待っておったようにな。」

 

岐路、そして帰路へと続く