藤(その1)

 2013-06-30 15:45:14

 

 君の梅の木のことを、帝の臣下に教えたのが誰だか、君は知ってるかい?そうさ、藤原の娘。君の友達さ。この部屋にも時々来たことがあるだろう。

 彼女は、自称、君のファン・・・かな?クスッ。随分と君の日記や歌を褒めて、ステキ!って言ってたよね。 そして、君の言葉をサラリと使って自分の歌にしたり物語に書いたりして、文壇を賑わせてさ。

 一方君は、自分の書いたものを大々的に発表しないし、自分が書くというその行為だけで満足してる。だから、誰にもわからない。藤の娘が、さも自分で思いついたかのように書けば、それらの言葉の産みの親である君の存在は、一見消えてなくなるというわけだ。

 君はそれでも全然構わなかった。そうだよね。むしろ、君の言葉が、彼女の存在の御蔭で陽の目を浴びるのだとまで考えてたぐらいだから。だけどね、言葉には、言葉そのものの意味と、音の響き、そしてその言葉を発する意図という三つの要素がある。同じ言葉でも、使う人によって響きや重みが変わって聞こえるのはそのためだ。意味と音までを盗めても、いや、盗むなんて言い方は良くないな、真似をしたとしても、だ。意図までは真似できない。意図はその人の意思であり、進化への動機を持つものだからね。真似をした時点で、進化への意思を失うということさ。

 いいかい?藤の花は色あでやかで、上品で、慎ましく見えながらも人目を引き、周囲の羨望を一斉に集めることのできる花だ。しかし、その蔓(つる)で、他の樹木に絡みつき、上部を覆い、光合成を妨げる。おまけにゆるゆると時間をかけて、幹を変形させてしまうんだ。

 君は、その藤にすっかり陽光を遮られて、幹も歪み始めていたんだよ。見目麗しい藤の娘と、身分も低く見た目もぱっとしない君。この関係はずっと続くんだ。これまでもそうだったし、これからもそう。この世の始まりから終わりまで絶えることなく継続していく関係さ。君は、今日の悔しさと怒りを、どこにも手放すことは出来ない。世の終わりが来るまでね。

 

 少し難しい話をするけど、大事なことだから聞いてくれ。進化への意思に関わる大切な事なんだ。

 人間は誰でも、二人の自分を持っている。本当の自分と偽りの自分と言うこともできるけど、ちょっと違うかな。進化への方向性を持つ意思と、その反映として生み出される、進化の方向性を失った自分だ。人間として生きていく以上、この二人の自分は必要不可欠なんだ。

 君は、今の一生だけではなく、また違う時代に生きては、その二人の自分を育てていくんだ。育てると言っても、実際に培い、育てるのは片方の自分だけで、もう片方はあくまでその影として、くっついて育ってしまうだけだけれどね。何度も違う時代を生き、色んな経験を通して、影も生み出しながら完成させていくのさ。と言っても、君という魂が何度も生まれ変わって、別の肉体に入るイメージは間違っているよ。

 そうだな、こう考えてくれるかい?この世界が一人の人間だとしよう。赤ん坊として生まれ、成長し、成熟し、やがて老いて新たな命にバトンタッチする。誰だって、子供の頃の自分と大人になった自分は、体も心もすっかり違っているのに、途中で肉体を乗り替えたり、誰かと入れ替わったとは思わないよね。ずーっと自分でいたと感じているはずだ。

 今の時代は、この世を一人の人間だとした場合、まだ若い時代で、今の君は若い時代の君なんだ。いずれ世界が新しい生まれ変わりを迎える時代にも、君という人間は存在する。その時に、君の中の二人の自分は、選択を迫られることになる。主体をどちらに置くかで、新たな世界へと進化して入っていく力と、見送られていく力に分化するのさ。救われる人間と救われない人間に分かれるという意味じゃないよ。

 君は、今の自分しか意識できないだろうけど、君はずっと生き続けていくんだ。世の終わりまで進化の意志を持ち続け、本当の自分はこっちだと胸を張って言えるように、こうして今、僕が現れたというわけさ。

 

藤(2)へ続く