西行法師・・・「その如月の望月のころ」

本日、2014年、3月1日。

今日から三月、『弥生』ですね。

ところが、太陽と月の運行で暦を作っていた旧暦で言うと

今日が新月で、『如月』の始まりなのですね。

 

現代人の私たちの感覚では、三月は『弥生』で、

『弥生』と言えば桜のイメージがあります。

ところが、旧暦では約一ヶ月(その年によって、半月ぐらいだったり色々ですが)

ずれていて、『如月』が桜と結びつくイメージなのですね。

如月には、梅がすっかり咲いて、そのうち桜も咲いてくる

まさに春・・のイメージがあります。

 

『如月と桜』を詠んだ歌に、こういうのがあります。

願はくは 花のもとにて 春死なむ その如月(きさらぎ)の 望月の頃

これは、西行法師が、亡くなる十数年前に詠んでいた歌だそうです。

 

「如月の望月」というのは2月15日で、釈迦の命日。

(できることなら、2月の満月ごろ、春、満開の桜の下で(私も)逝きたい)

そう願ったとおりに、

実際、西行が息をひきとったのは2月16日でした。

釈迦の入滅の一日あとですね。

 

西行という人は、元々北面の武士(院、つまり上皇を守る武士)だったと記憶していますが

出家前に次のような歌も詠んでいます。

 

世を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人をぞ 捨つるとはいふ

(出家する人というのは悟りや救いを求めていて、

本当に(煩悩、我欲を)捨てたと言えるだろうか、いや言えない。

出家などせず、世間の中で生きながら(我欲を)捨ててこそ、本当に捨てると言うのだ)

というような意味でしょうか。

 

また、出家後もなかなか世間との交わりを捨てきれず、

己の煩悩と闘い続けていたようにも思われます。

 

いつの間に 長き眠りの 夢さめて 驚くことの あらんとすらむ

(いつになれば長い迷いから覚めて、すべてに不動の心を持つことができるのだろう)

 

西行という人は、闇への魅力にも惹かれつつ、抗っていたようなふしもあり

次のようなエピソードも残っているようです。

「死人を蘇らせようとして、術を施したはいいが、

魑魅魍魎がわんさか湧いて出て、驚いて逃げた。」

 

なんだか、笑えるような、笑えないような・・・

 

何はともあれ、今日は新月。

明日から少しずつ、月は満ちてゆきます。

釈迦が入滅した日・・・

そしてその釈迦に憧れ、解脱(悟り)に憧れて、生涯悪戦苦闘しながらも

当時もてはやされた技巧的な短歌ではなく

野や山で、素朴な心を歌い続けた

そんな西行法師が、この世を旅立った日・・・

『如月の望月のころ』を偲び

今夜は、見えない月を愛でるとしましょう。

2014/3/1